苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

タビタばあさん

使徒9:32-43
2010年4月18日 小海主日礼拝

1.奇跡と大規模な回心

 イスラエルは全人口600万人。地中海に面した最大の都市テルアビブには人口200万の人が住んでいます。この町は正式名称をテルアビブ・ヤッファといいます。ヤッファとは、テルアビブに隣接しているのが古代都市ヨッパです。20世紀第二次大戦後、ユダヤ人たちが古代都市ヨッパに隣接する広大な砂丘にテルアビブという町を築いたのでした。このヨッパでタビタというおばあちゃんの生き返りの奇跡が起こりました。
 このヨッパの東20キロメートルほどのところにルダという町がありました。アイネヤという中風で寝たきりだった人物の癒しは、このルダという町で起こりました。

 サウロの回心と宣教スタートの話から、話の主人公はペテロにもどります。先には、ペテロは信徒伝道者ピリポの要請を受けてサマリヤ伝道をしましたが、そのあとサウロのエルサレム迫害とその後の記事が挟み込まれていましたが、話題はふたたびペテロに戻ってきたわけです。ペテロは「あらゆるところを巡回し」(32節)ました。エルサレム迫害によって散らされた兄弟姉妹たちが各地で集会を始めていたので、彼らを訪ねてはみことばによって励まして回っていたのです。
 脳出血後の麻痺で8年間たってすっかり寝たきりだった人が、突然全快することなど医学的にはありえません。目医者だった私の祖父は往診中に倒れて以来中風で十年ほど床についたきりになって、死にました。人は一ヶ月寝たきりになっただけで、筋肉はやせ細ってしまいます。8年も寝たきりだと神経が回復しても筋力など無きに等しくなります。立って自分の床をたたむなどということはとうてい出来ない相談です。アイネヤの中風の癒しということは、まさに奇跡でした。まして、死者タビタを死から生き返らせたというのはさらにありえないことでした。だからこそ奇跡です。
 これらの奇跡は、それぞれ、「ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。」「このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。」と結ばれています。アイネヤの癒しにしても、タビタの生き返りにしても、たしかに驚くべき奇跡なのですが、聖書において奇跡はそれ自体が目的ではなくて、さらに偉大な出来事としての多くの人々の回心へとつながったということが肝心なことです。(9:32-35)

 記録したルカの関心は、この出来事をとおして、ルダとサロンに住む人々が大規模に回心をしたということでした。奇跡は「しるし」とも呼ばれるように、そのしるしを通して人々がイエス・キリストが生ける神の御子であることを知って、回心にいたることが重要です。ペテロのことは賞賛されていません。それは、彼が「イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。」と明瞭に述べているからです。褒め称えられるべきお方はイエス・キリストです。
 信仰をもってイエス・キリストの御名を受け容れた、その瞬間、アイネヤの内側に、8年前から途絶していた神経組織が回復し、弱りきってほとんどないに等しい状態だった筋肉が創造されたのです。奇跡とは、無から万物を創造された神の主権的なみわざにほかなりません。「イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです」とありますように、イエス・キリストがこの奇跡を行なわれたのです。

2.「女の弟子」タビタ

 つぎにタビタの生き返りについて。病気と死とは質的に異なるものです。これもまたペテロが行なったことではなく、ペテロの信じる復活の主イエス・キリストが行なわれた奇跡です。
 タビタあるいはギリシャ語でドルカスというのは、かもしかという意味ですから、日本風にいえば「お鹿さん」「お鹿ばあさん」といったところでしょうか。アイネヤについては信者だったかそうでなかったのかについてさえ何も書かれていませんでしたが、タビタは「女の弟子」だったときちんと書かれています(36節)。彼女は主イエスの弟子と呼ばれるにふさわしい人であったからです。それは、36節後半にあるように「多くのよいわざと施しをしていた」からです。
 神の御子イエス様は、天の栄光の御座を捨てて地上に人として降られて、貧しさを経験し、友のない者の友となり、生きる悩みを味わわれ、私たちのために生き、そして贖いを成し遂げられました。主イエスの弟子は、主イエスが生きたように生きるときに、主イエスの証人となります。この世の人たちとは一味ちがう、生き方。よいわざと貧しい人々への施しです。主イエスの愛が、その人柄を通じて現われ出てくるような姉妹がお鹿さんことタビタでした。
 お鹿さんが住んでいたのは、ヨッパという港町。港町にはやもめが多かったのです。というのは、夫が船乗りですから海でいのちを落とすことが多いからです。たぶんお鹿さんタビタ自身も、やもめだったのではないかと思われます。というのは葬式になっても、使徒ペテロがやってきても、親戚がだれも登場しないからです。タビタは港町ヨッパの寂しく貧しい境遇に生きているやもめたちとともに生きる人でした。彼女はやもめたちの心の支えとなっていたのでした。
 タビタは金持ちだったわけではないようです。けれども、神様はタビタに特技を与えておられました。それは裁縫です。タビタはその賜物を十分に活用して、やもめたちの上着下着を作ったり繕ったりしてあげたのでした。きっと、夫を失い女手ひとつで子どもたちを苦労して育てているやもめの子どもたちのためにも、タビタは工夫して子ども服などもつくってやったのでしょうね。タビタの作ったり繕ったりしたものが展示会になるほどですから、タビタさんはおそらくおばちゃんかばあちゃんという年齢でした。「9:39 そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着上着の数々を見せるのであった。」やもめたちは、タビタの記念として、それらのものを見せたのです。

 そんなやさしいタビタさんでしたが、彼女は病にとらえられて死んでしまいました。彼女を慕っていた、たくさんのやもめたちは涙にくれました。悲しみながら、タビタの遺体を清拭して、埋葬の準備をして屋上の間に安置したのです(37節)。ところが、誰が言い出すともなく、「そういえば近くの町ルダに、あの使徒ペテロさんが来ているというじゃないの。」「そうそう8年間の中風の人だって元気になったというじゃないの。」と話になりました。「とにかく使徒ペテロさんに着ていただこうじゃないの。もしかしたら、タビタばあちゃんだって・・・」ということになったのです。
 彼らは20キロの道を二人の使いを出しました。「すぐに来てください。」と。ペテロは行動の人です。すぐさま立ち上がって、ルダまでやって来ました(38節)。ペテロが到着すると、たくさんの女性たちが迎えに出てきてペテロをタビタの亡骸が安置されている屋上の間に案内してくれました。
 「これはタビタさんが作ってくれた上着です。」
 「タビタさんは、私にはこんな暖かい下着もつくってくれました。」
 「これはタビタさんが・・・・」というやもめたちの思い出話が交代交代に始まりました。上着はともかく下着まで持ち出して見せてくれるので、ペテロは困ってしまったかもしれませんね。やもめたちは、次々にタビタのしてくれた愛と親切を思い出して涙に暮れるのでした
(39節)。

 歴史家はローマ皇帝や、将軍や、王たちなど戦で華々しく戦った人々、暴政であれ善政であれ行なった人物たちには注目しても、ヨッパの町のひとりのやもめのことなど注目しないでしょう。けれども、神様の目はちがうものをご覧になっているのです。神様はこの愛に生きたタビタの生涯に目を注いでおられたのです。彼女の生涯は、キリストの愛の現れでした。
 自分がどれほどキリストによって赦され愛されたかを知ったタビタは、他の同じように弱い立場にあるやもめたちのために針仕事をとおして、愛を表したのです。あなたがたは世界の光です、地の塩ですと主イエスはおっしゃいました。それは、それぞれ誰にでも注がれている神様の賜物にしたがって、神様の愛を、隣人に分かつことなのです。あなたにはどのような賜物が託されているでしょうか?あなたは、それを通して神様の愛を隣人にわかつことができます。

3.奇跡

 やもめたちが涙を流しながらタビタがどんなに優しくしてくれたかについて話を聞くうちに、ペテロの内側には、死に対する憤りが湧きあがってきたのではないかと本文を味わっているうちに感じました。これほどに大切な人を非情にも奪い去ってしまう死、人間の最後の敵である死に対する憤りです。主イエスが、ベタニヤのラザロの墓で感じた憤りです。「死よ。おごるなかれ。」という憤りです。今、主イエスの御霊が使徒ペテロを支配しています。ペテロは御霊の導かれるままに行動しました。
「ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。」(9:40)
 福音書に、これと似た場面があったのを、みなさん思い出されるでしょう。そうです。かつて会堂司ヤイロの娘が死んだとき、主イエスはその12歳の娘の所に出向き、この娘に「タリタ・クミ」すなわち「娘よ起きなさい」とおっしゃいました(マルコ5:41)。「クミ」というのは「起きなさい」という意味のことばです。今回は「タビタ、クミ」です。あのとき、ペテロはヤコブヨハネといっしょに主イエスについていったのです。ペテロの今回の振舞は主イエスがなさったことと、そっくりです。ペテロは数年前の会堂司の家での主イエスのわざを思い出していたでしょう。
 しかし、主イエスがなさったのとペテロの振る舞いとの間には違うことが一つあります。「それはペテロがひざまずいて祈った。」という点です。主イエスはご自分の権威でもって娘を死の床から起こしたのですが、ペテロは自分自身に権威があるのではなく主イエスにこそ権威があることをちゃんと認識していたので、主イエスに祈ったのです。「主よ、タビタを生き返らせてください。そして、あなたのご栄光を現わしてください。」と。アイネヤのいやしの場合も、ペテロは言いました。「イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。」
 ですから、人々はペテロではなく、主イエスを褒め称えたのです。ペテロの栄光ではなく主イエス・キリストの栄光が現わされたのです! 生き返ったタビタの手を取るとタビタは立ち上がりました。「さあ、みんな、主イエスが素晴らしいことをしてくださいました。」とペテロが告げると、兄弟姉妹たちが屋上の間に入ってきてびっくりして、泣いて喜びました。主イエスはすばらしい。復活の力をもって、タビタさんを生き返らせてくださったと感激したのです。
 こうして、「このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。」(42節)のでした。奇跡の目的である、多くの人々の主イエスへの立ち返り、回心ということが成し遂げられたのです。

むすび

 本日のみことばで私たちは使徒ペテロを用いて神がなさった二つの奇跡の記事を見ました。その奇跡をもちいて神様は、多くの回心者をルダとヨッパで起こされたのです。神に造られながら神に背を向けて歩んでいた人々が、まことの神に立ち返る回心と救いという出来事こそ、どんな奇跡にも勝って素晴らしい奇跡なのです。

 また、私たちは港町ヨッパに住んでいた一人のクリスチャンの老夫人の生き方についてみことばから味わいました。タビタは歴史家のだれも注目しないような、私やあなたのような小さな存在です。けれども、聖なる神様の御目は、この小さな夫人に注がれていました。彼女が、神様の愛を受けて、自分のできることを通して隣人への愛を実践して生きていたからでした。
 キリスト者の中にも世間的に有名な政治家や大学教授や大企業の社長のような立場に置かれるキリスト者もいるでしょうし、有名な牧師や伝道者もいるでしょう。そうした兄弟姉妹は、その立場で主にお仕えすればよいのです。ですが、私たちの多くは路傍の石ころです。小さな存在です。けれども、立派な庭石にも、路傍の石ころにも、神様はそれぞれに愛に生きるようにと、なにかできることを託していてくださいます。
 「神様、あなたが私に託された愛の賜物とはなんでしょうか?また、あなたが愛を分かつべき隣人とはだれでしょうか。」と、目を閉じて祈って、神様に教えていただきましょう。そうして教えていただいたなら、その賜物を用いて、隣人への親切、愛をあらわして、神様のご愛に応えて生きてまいりましょう。そうして、あなたの人生を通して神の栄光があらわされますように。