苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

野菊の墓


 原稿がひとつ仕上がったので、一息つこうと茶の間に入ったら、妻が繕い物をしながら目を真っ赤に泣きはらしていた。横ではラジオが鳴っている。『なにか悪いこと言ったっけ?』と内心少しあせって「どうしたの?」と聞くと、「野菊の墓よ」と言う。ラジオかと思ったのは、ネットサイト「朗読で楽しむ日本名作文学全集」の伊藤左千夫野菊の墓』の朗読だった。「かわいそうで、かわいそうで・・・」という妻の目から、また新しい涙がぽろぽろこぼれ落ちる。筆者も若い日に読んだ政夫と民子の悲恋が胸に浮かんで、もらい泣きしてしまった。

「僕は元から野菊が大好き。民さんも野菊が好き。」
「わたし、野菊の生まれ変わりよ。野菊の花を見ると、身ぶりが出るほど可愛いと思うの。どうしてこんなかと自分でも思うぐらい。」
「民さんはそんなに野菊が好き。道理でどうやら民さんは野菊のような人だ。」
「わたし野菊のようだって、どうしてですか。」
「さあ、どうしてということはないけれど、民さんは何となく野菊のようなふうだからさあ。」
「それで政夫さんが野菊が好きだって。」
「僕、大好きさ。」
 十五歳の政夫と、家に手伝いに来ていた十七歳の民子の間にほのかな恋が生まれた。しかし、兄嫁は非難し、民子にやさしい政夫の母も、村では年上の女を娶るような恥ずかしいことは許されないという。そして、政夫は早々に町の中学にやられ、政夫のいぬ間に民子は嫁にやられてしまう。民子は嫁入り先で流産し、それがもとで死んでしまう。民子の手には赤い絹に包まれた政夫の写真と政夫からの手紙が握られていた。

 おおよそ、こんな話だった。それにしても、なんでこんなに涙もろくなってしまったのか。後でこのことを聞いた娘に笑われてしまった。野菊のような民子と信州に育った妻のイメージが重なってしまったからかもしれない。

 *朗読で楽しむ日本名作文学http://teabreakt.weblogs.jp/roudokusen/