苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

人として生きるための知識

  師に教わったことの一つ一つの意義は、二十数年たった今になってようやくわかってきた。失敗をして、人を傷つけ、自らも悩み苦しんで後、「あの時は、こうすればよかったんだ。もう二十年も前に教わっていたのに。」というぐあいにしかわかるようにはならなかった。まことに不肖の弟子である。
 科学的な知識は積み重ねがきくから、科学技術は文字どおり日進月歩するのであるが、人が生きることについての知識はどうやら積み重ねがきかないようなのである。先達の知恵のことばを聞いて、頭の中ではわかったつもりでいても、そのように生きることはできず、失敗や苦悩の経験を経て後はじめて、「ああ、先生のおっしゃっていたのは、このことだったのか」とわかるというふうなのである。もし、そうでなければ、現代の人類の道徳性は古代人にくらべてはるかに進歩しているはずである。ところが、今なお研究者たちはソクラテスプラトンアリストテレスを学び続けている。これは、人間の生きることにかんする知識は積み重ねがきかないということを意味している。人はみな、この世に生を享けたらゼロから生きるほかない。