苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

復活

                  ヨハネ20:1−10
                2010年4月4日 小海主日礼拝

1.週の初めの日に

「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」20:1
 イエス様は紀元30年のユダヤ暦のニサンの月(太陽暦では4月)の7日に十字架にかけられたと物の本にあります 。当時、ユダヤでは一日は日没とともにはじまり、日没とともに終わることになっていました。主イエスが十字架にかけられたのが金曜日(六日目)の午前9時から午後3時で、日没前に主イエスの亡骸は墓に納められました。その日没から安息日が始まり、今でいう土曜日(七日目)の日没まで安息日が続き、日没と同時に安息日が明けて「週の初めの日」となったわけです。
 「週の初めの日」と特筆されているのは、なぜか。ユダヤ人であった最初の主の弟子たちにとって、イエス様の復活の日が「週の初めの日」であったことは意外なことだったからでしょう。聖書記者であったユダヤ人たちにとって聖なる出来事が生じる日というのは、週の終りの安息日と決まっていたからです。創造の最初のときから、「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた 」わけですし、旧約時代のいくつかの祭りも第七日目に大団円を迎えることになっていましたし、エリコの要塞の陥落も第七日目に陥落するように主は計画なさったのです 。人類の歴史を変える、イエス・キリストの復活という聖なる出来事もまた、週の第七日目というのが常識でしょうが、神様は異なる計画をもっていらっしゃいました。主イエスは「週の初めの日」に死者の中からよみがえられたのです。
 週の初めの日に起こった特別の出来事というのを聖書全体で見ると、「神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった」(創世記1:3)、あの万物の創造のスタートの日です。無から万物を創造された全能の神の権威あることばによって、闇の中から光が現われ出た日、それが週の初めの日でした。主イエスの復活の出来事は、あの出来事に匹敵する、死から生命が現われ出るというきわめて特別なことなのです。

 さて、マグダラのマリヤは、六日目土曜日に日が暮れて安息日が終わると香料を求めに出かけ、翌朝、まだ日が東の山の端に顔をのぞかせる前に家を出て墓へと向かいました。他の福音書と比較すると、墓に出かけた女としては彼女のほかにヤコブの母マリヤとサロメ(ヨハンナ)もいたようですが、必ずしもいっしょに行動したわけではないように思われます。ヨハネ福音書は、他の三つの福音書よりも後に成立したものですから、三つの福音書の記事を前提として、特にマグダラのマリヤに焦点を当てたかったようです。彼女は、かつて七つの悪霊にとりつかれて深い罪と苦悩のなかにあった人でしたが、そこからイエス様によって救い出されたので、イエス様に対して深く感謝をしていた女性でした。今朝は、イエス様がマリヤに現われた記事にはふれませんが、関心ある方は後で読み味わってくだされば、と思います。

2.ペテロとヨハネ

さて、マリヤは、イエス様の墓が空っぽだったので、大慌てで弟子たちの隠れ家へと走りました。そしてイエス様の復活の最初の証人となって、弟子たちにイエスの復活の証言をしました。 20:2「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」このように話すマリヤはべそをかく寸前だったでしょう。「あたしの大事なイエス様を、誰かが盗んで言ってしまったんです」と言わんばかりです。彼女は十二弟子たちのようには、イエス様のそばにいて教えに深く触れる機会もありませんでしたから、イエスさまが苦しみを受けたのちに復活なさるなどという約束も聞いていなかったと思います。ですから、マリヤはなにも知らずに墓に行き、おからだがないのでイエス様のからだは泥棒にあってしまったと思い込んでいたのです。
これが歴史上最初の主イエスの復活の証言でした。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」証言というのは、こういうものなのですねえ。すべてのことが分かるわけではありませんが、自分が直面し、経験した主イエスの事実を語ったのです。もちろんこの段階でも模範的な証言ということはできません。でも、とにかく主イエスの墓は空っぽだったのだという事実は明白になりました。証言の説得力は事実の力、体験の力です。
弟子たちは、最初「この女、何を馬鹿なことを言っているんだ。朝早くてねぼけていたんじゃないの?」とか「きっと薄暗かったから、別の墓に間違えていったんじゃないのか?」と思って聞いていたのです 。けれども、マリヤの証言は真に迫っていました。なぜなら、彼女は見てきた事実を話したからです。証言の説得力は、ことばのたくみさや論理の明快さではなく、事実の力なのです。

 マリヤの証言を聞いて弟子たちはがやがやといろんな疑問を呈したり論じたりしていましたが、誰よりも行動的なペテロは、居ても立ってもいられなくなりました。屁理屈を言いあって論じていても埒が明かない。この目で見て、この手でさわって来るのが一番早く、一番確かだということで、バタンと戸を開けると墓に向かって駆け出したのです。それを見てついて走り出したのはもうひとりの弟子です。もうひとりの弟子とは、聖書記者ヨハネです。ペテロのほうが先に駆け出したのですが、残念、ペテロは途中で息が切れて遅くなり、結局、かもしかのような脚を持つヨハネがペテロを抜き去って先に墓に到着してしまいます。
「そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。」(3,4節)
 確かに岩壁にうがたれた墓穴の入り口をふさいでいた巨大な石は左横に転がされています。ごくりとつばを飲み込みました。ヨハネのほうは思慮深かったのか、臆病だったのか、あるいはペテロを出し抜いたらあとでひどい目に会うかもと遠慮したのか、墓にただちに踏み込むことはしないで、からだをかがめてのぞき込みました。イエス様の亡骸はありません。イエス様の亡骸が横たえられていたその場所には亜麻布が置かれてあるではありませんか。でも、ヨハネは中に入ろうとはしないのですね。「 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。」(5節)
 さてまもなくゼーゼーと息を切らしてペテロが到着しました。すると、委細かまわず墓の穴に突入します。やっぱりペテロです。面白いですね。
「 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。」(6,7節)
 ペテロは呆然としていました。マグダラのマリヤが言ったとおり、主イエスのおからだがありません。マリヤが言ったように誰かがイエス様のからだを持ち去ってしまったのでしょうか。特に異様なのはイエス様の頭を巻いた布です。「巻かれたままになっている」のです。つまり、イエス様の頭がそこに入っていたときのように、イエス様の頭のかたちのまますっぽりと抜けたような形で置かれていたのでした。まるでセミの抜け殻のように。「いったい何があったのか?」ペテロは百聞は一見にしかずと思って駆けてきたのですが、一見しても、何がなんだかわからない。「墓の巨石はよけられている。主イエスの亡骸はそこにはない。けれども、どういうわけか、亡骸にていねいに巻きつけられた布はからだのほうのものはたたまれて置かれており、頭の部分はぬけ殻。いったいどういうことか?」と。
 「そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来」ました(20:8)。「そして、見て、信じた。」とあります(同)。ヨハネは何かを見て、悟って、信じたのです。ペテロは考えるよりも行動する人でしたが、ヨハネは悟ることができる人でした。ヨハネは、何を見て、何を信じたのでしょうか。それは、たしかにあったイエス様のおからだがなく、そこにはイエス様のからだを巻いた布と、頭を巻いていた布があったということです。しかも、その布は丁寧なことにすっぽりと中身が抜けた「巻いたまま」の状態でそこにあったのです。誰かが、番兵の目をかいくぐってイエス様のからだを盗んで行ったとしたら、その盗人がわざわざイエス様の亡骸から十分以上もかけて布をていねいに脱がしたでしょうか。ふつう、布を巻いたまま持っていくでしょう。布を置いていく意味などありません。さらに、頭を巻いた布についていえば、イエス様の頭からはがした後、まるでイエス様の頭がそのなかになおあるかのように巻いて、そこに置いて行くなどという手の込んだことをする時間などあるわけがないのです。
ですからヨハネは「見て、信じた」のです。その墓のありさま、残された布の状態をしっかりと「見て」、誰かがイエス様の亡骸を盗んでいったということはありえない。だとすれば、これは、イエス様がよみがえって、ご自分でこの墓から出て行ったという明白な証拠だ。そのように「信じた」のです。このときになって初めてヨハネは、イエス様が生前に少なくとも三度にわたって予告された、「受難とよみがえり」のことが文字どおりほんとうのことだったのだと初めて悟ったのでした。
 「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。」(20:9)
 イエス様は、実際、シモン・ペテロがイエス様に対して「あなたは生ける神の御子キリストです。」と告白して以降、何度もご自分が「民の指導者たちに捕まえられて、異邦人に引き渡され、苦しめられ、死ぬ。けれども、三日目にはよみがえらなければならない。」ということを幾度も話してこられました。来るべきメシヤの受難と復活は旧約聖書詩篇イザヤ書に預言されていたことでした。けれども、そのたびごとに、弟子たちは恐れを感じて、イエス様にそのことを問いただすことをせず、ほかの事に話題を転じたものでした。けれども、今、ヨハネはイエス様の復活というのが、なにかのたとえ話や寓喩の類いではなくて、文字どおりの事実であるということを悟って、信じたのでした。

むすび
 主がよみがえられた。それは、無から万物が創造されたことに匹敵する奇跡です。この事実のゆえに、まずわたしたちは主イエスこそは、無から万物を造られたまことの神であるということを知ることができます。
 主はよみがえられました。第二に、主イエスは私たちの罪が、神様の前でゆるされたことの保証なのです。すべての罪のつぐないのわざが完了したからこそ、主イエスはよみがえられました。私たち主イエスを信じる者は、死後のさばきの座に立つとき、恐怖におののく必要はありません。たしかに私たちには罪があります。けれども、すでに罪の償いは完了しているからです。
 主はよみがえられました。第三に、主イエスは神であられながら、人となって、わたしたちの代表として最初に復活されたのです。ですから、主イエスの復活は万物の救いが完成するあの日、わたしたちもまたあたらしいからだを与えられて復活することの保証なのです。
 このすばらしい救いが成就した復活日、主をさんびしましょう。