苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

伝道者サウロの召し

使徒9:1−19
2010年3月21日 小海主日礼拝
 私たちはキリスト者として、神様が自分の人生をどのように導いてくださるのかということを知りたいと思います。どのようにして神様の、自分の人生に対するみこころを悟ればよいのだろうかと考えることがあるでしょう。きょう私たちはサウロのちのパウロを主がどのように導いて、伝道者としてお立てになったかということを見て、神様の導きについて思いをめぐらしてまいりましょう。

1.サウロの教会弾圧

 ステパノを石打の刑に処したとき、サウロはそれを冷酷なまなざしで眺めていました。そして、この出来事を皮切りとしてサウロはエルサレム教会を激しく弾圧し、キリスト者たちを次々に投獄したのです。
 ところがエルサレム教会は弾圧されて、その宣教活動を停止するどころか、かえって信徒たちは各地に地って行き、それぞれの行く先々の町でイエスを礼拝する共同体を作っていきました。サマリヤに、南は間接的にエチオピアに、そしてまたカイザリヤにも、さらにはるか北方のダマスコにまでイエスを信じる者たちの群れ、つまり、教会が誕生してしまったのです。弾圧者の側からいえば、まさに飛び火したという状況でした。
 いよいよサウロは怒りに燃え上がりました。このままではイエスを神の御子と信じる連中が世界中にペストのように広がってしまうでしょう。そこでサウロは、大祭司に詰め寄って手紙を書かせました。それはイエスを信じる者たちを片っ端から逮捕することの許可証でした。
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」(9:1,2)
 サウロはイエスの一党をエルサレムに連行して裁判にかけて、イエスを神と信じる冒涜的な連中を、処刑してしまえばよいと殺意に燃えていたのです。そうでもしないかぎり、このパンデミックは止めようがないと見ていました。
 この時期のサウロの異様なまでのキリスト教会に対する激しい怒りの底には、サウロの恐れがあったとおもわれます。忘れよう忘れようとしても、サウロの頭の中にステパノの殉教の祈りの記憶がどうしても消えませんでした。(だからこそ、後にサウロの医者となるルカはステパノ殉教の場面を克明に描くことができました。)「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と、冷酷に眺めているサウロのためにも祈って死んでいったステパノの記憶がよみがえるたびに、「もしかしたらステパノたちの信じるイエスはほんとうの神であり、もしかしたら、自分が信じてきたパリサイ派の宗教はまちがっていたのかもしれない」という疑念が湧いてくるのです。「とんでもない」とその記憶を消し去るために必死になって、いや私こそ正しい道を進んでいるのだと信じて、キリスト教徒を迫害したように思えてならないのです。
 サウロの教会弾圧の激しさは、彼がエルサレム北方はるか300キロメートル以上の長途をものともせず、ダマスコまで勇んで出かけたことにも現れています。

2.ダマスコ門外にて・・・・砕かれる

(1)なぜわたしを迫害するのか?
 「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。」のでした(9:3)。「彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」

 復活したイエスは、強い光をもって臨在を現わされました。主のおことばのなかには注目すべきことがあります。「なぜ、わたしを迫害するのか」と主はおっしゃいました。「サウロ、サウロ、なぜ私の民を迫害するのか?」とおっしゃるのではなく、「なぜわたしを迫害するのか?」とおっしゃったのです。また、サウロがあなたは誰ですかと質問すると、「わたしは、あなたが迫害している者たちが信じるイエスである」とおっしゃらずに、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」とおっしゃったのです。
 イエス・キリストを信じる者たち、つまり教会を迫害することは、イエスご自身を迫害することだとおっしゃるのです。キリストと教会の一体性の事実です。私たちが苦しむとき、イエス・キリストも苦しんでいてくださいます。「教会はキリストのからだである」という命題は、単なるたとえではなく一つのリアルな現実なのです。また、主イエスは終りの裁きの日におっしゃいます。「このわたしの兄弟たち、しかも、その最も小さい者にしたことは、わたしにしたことなのです」「このわたしの兄弟たち、しかも、その最も小さい者にしないことは、わたしにしないことなのです。」と。主イエスを信じる兄弟姉妹にすることは、すなわち主イエスにすることなのです。キリストと教会とはこれほど密接に結ばれているのです。
私たちはお互いに、主イエスに結ばれた者です。兄弟姉妹にすることは、主イエスにすることです。お互いにそのことをわきまえたいものです。その事実をわきまえるならば、私たちにとって主にある兄弟姉妹との交わりがどれほど大切なことであるかわかるでしょう。

(2)砕かれる
 それはそうとして、光に打ち倒されたサウロに対して、主イエスは次のように命じられました。
「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。」(9:6−9)
 サウロはほんとうに打ち砕かれました。どん底に落とされたのです。自分がこれこそ神の御旨だ正義だと信じて行なってきたことは、なんと、神の前に赦されがたい罪であったということに気付いたからです。神の民であるキリストの教会を迫害し、兄弟姉妹を投獄し、拷問したことは、主ご自身を迫害し、投獄し、拷問したことなのです。サウロは、この犯してしまった教会迫害という罪について、生涯自覚を深めたのです。彼の晩年の手紙において、次のように言っています。
 「 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1:13−15)
 その罪にかんする自覚を深めるほどに、こんな罪人の私をゆるしてくださった主イエスの恵みと、神の愛の偉大さを実感したのでした。ですが、この目が見えなくなった時点では、まだサウロはまったく肉体的にも精神的にも暗闇のなかに置かれていたのです。彼は、人に手を引かれてダマスコに連れていかれ三日三晩、目も見えませんでしたし、食べ物ものどを通らないという状態になってしまいました。神様に用いられる人というのは、多くの場合、たとえばモーセにせよ、イザヤにせよ、ペテロにせよ、そしてサウロにせよ、このように徹底的に砕かれるという経験を与えられるようです。砕かれるというのは、「自分はできる」と思っていた人が、「自分はできないのだ」と悟ることであり、「自分は正しい」と思っていた人が、「自分はとんでもない罪人だったのだ」と認識して、その自負が砕かれつくしてしまってこそ、主に従うことができるからです。
 
2.主のしもべアナニヤ

 サウロが、目も見えず、断食して落ち込んでいたそのとき、サウロのまったく知らないところで、神様はご自分の計画を着々と進めていらっしゃいました。ダマスコのアナニヤという人物を主はお用いになったのです。神様がみこころによって、一人の人をご自分のしもべとして立てようとされるときには、生きている摂理の御手を働かせて最も必要な時に、最も適切な人との出会いを与えて導いてくださるものなのです。これは確かなことです。
  「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたので、「主よ。ここにおります」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者が入って来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」(9:10−14)
 アナニヤは、主はなんということをおっしゃるのだろうかと驚きました。教会迫害の急先鋒サウロの家を訪ねよとおっしゃるのですから、当然の反応です。しかし、主はサウロに関してさらに驚くべき計画を告げられたのです。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(9:15,16)
  アナニヤは主のしもべです。明確に主がお命じになったことですから、もはや四の五の文句はありません。ただ主のおっしゃるとおりに任務を果たすのみです。
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。」(9:17−19)

 こうしてサウロはまったく新しい人として生まれ変わりました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)と後にパウロ自身が書いているのは、実感でしょう。イエスに敵対し、イエスの弟子たちを憎しみに満ちて迫害していた自分が、いまやイエスのしもべとなってイエスの弟子たちを兄弟姉妹たちとして愛する者と変えられたのです。
 それにしても、ダマスコの集会の兄弟姉妹はどれほど驚いたことでしょうか。昨日まで、自分たちを逮捕し投獄してしまう鬼のような恐ろしい男サウロが、救われた喜びに顔を輝かせて家の集会を訪ねてきたのですから。あの冷酷で恐ろしい形相をした男が、今日は柔和な表情でいるのです。しかし、姿かたち、顔かたちはたしかにあのサウロです。昨日の敵は今日の友でありました。
日本の将棋と西洋将棋チェスはよく似たゲームです。けれども、両者を比べたときの違いは、チェスでは相手の駒を取っても使うことができませんが、日本将棋の場合、敵の駒でもいったん取れば、それを自分の駒として用いることができることです。主は日本将棋棋士のように、サタンの手下として用いられていた迫害の急先鋒サウロを捕らえて、それをご自分の持ち駒として自由自在にキリストの福音の器としておもちいになったのです。サウロはまさに飛車のように、地中海世界を所狭しと活躍しました。主は不思議な、すばらしいことをなされました。このサウロはのちにパウロとなります。そうして三度にわたる伝道旅行をして、小アジアマケドニア、そしてついにイタリアのローマにまでみことばを宣べ伝えたのです。パウロは初代キリスト教会の宣教師です。
ですが、パウロの働きのなかでそれ以上に重要で永続的な影響を2000年間の教会の歴史に与えたのは、彼が多くの教会への手紙を書いたことです。彼は多くの教会への手紙をしたためた牧会者であり、神学者でした。ローマ書、ガラテヤ書、エペソ、ピリピ書、コロサイ書、テサロニケ書、テモテ書、テトス、ピレモン書・・・これら新約聖書の半分以上を占める書簡群を見れば、彼がどれほどすぐれた神学者であり牧会者であったかということがわかります。当代随一の律法学者ガマリエル門下において訓練された学者としての資質が、このようにして主によって素晴らしく用いられたのです。
主イエスを信じたとき、彼はパリサイ派律法学者としてのキャリアも誇りもちりあくたのように捨て去りました。いっさいを捨て去って主イエスに従うことに徹したのです。しかし、自分の誇りとしてきたものを捨て去ったとき、それが後になってきよめられて用いられるのです。こういうことはしばしば起こることです。

結び
今朝は伝道者パウロの召しについてみことばを味わってまいりました。そこで、主はパウロをどのように伝道者として召すために導かれたでしょうか。
第一に、主は聖なるご臨在をともなうみことばによって、パウロにご自身のみこころを現わされました。新約聖書の完結した現代にあって、主は聖書のみことばに御霊の光をともなわせて私たちをお導きになります。
第二に主はサウロをまず啓示をもって打ち砕かれました。彼の自負を徹底的に打ち砕かれたのです。今まで胸を張っていたサウロは自力では自分は何もできない。罪を犯す以外にはなにもできないというところまでサウロは打ち砕かれました。
第三に、主はそのように打ち砕かれたサウロのもとにアナニヤという主のしもべを遣わされました。主は人との出会いをもって、特に主の忠実なしもべとの出会いを通して、私たちに御旨を告げてお導きになるのです。そうだとすれば、私たちはどれほど謙虚に主にある兄弟姉妹のことばに耳を傾けるべきでしょうか。