苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

サマリヤ伝道

使徒8:4-25
2010年3月7日 小海主日礼拝
 
1. サマリヤ伝道

  ステパノの殉教を引き金にして、ユダヤ当局からキリスト教会への弾圧が厳しくなりました。エルサレム教会では、わずかに使徒たちのみを残して、多くの信徒たちは各地に散らされていきました。しかし、「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」(8:4)福音宣教は、政府が禁止したからといってやめてしまえる程度のものではありませんでした。福音宣教、それは主イエス・キリスト至上命令です。弾圧によって、福音はかえってユダヤ地方の町々、村々、さらにあのサマリヤにまで燎原の火のようにひろがっていくのです。
 散らされた信徒たちの中にピリポがいました。ピリポは、ステパノと同じようにエルサレム教会の執事のひとりです(6:5)。ピリポはサマリヤ伝道へと向かって行きました。「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。」(5-8節)
 注目すべきことは二点。第一点は、彼がサマリヤ人に伝道をしたことです。ヨハネ福音書の「サマリヤの女」の記事にあるように、ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしませんでした。サマリヤ人たちが半分異邦人の混血であったからです。北イスラエル王国がアッシリヤに亡ぼされ、混血政策を受けて以来、サマリヤ地域は混血され、宗教的にも異教的習慣がはいりこんでいたようです。ユダヤ人たちはそういうサマリヤ人を軽蔑していたのです。しかし、御在世当時、イエス様はわざわざサマリヤに出かけて、彼らにも福音を伝えました。また、主イエスは天にもどられる直前に、「あなたがたは、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」とおっしゃいました。ピリポはイエス様に倣い、イエス様の命令にしたがったのです。
 福音は万人のものです。私たちも、時に「あの人はキリスト教とは無縁の人だ」と決めて掛かるという間違いを犯していないでしょうか。悔い改めて、主を証しましょう。小なりとはいえ私たちもピリポと同じく主の証人です。

 ピリポの伝道で、注目すべきもう一点は、ピリポが使徒ではなく信徒であったという点です。主イエスは「聖霊があなたがたの上に臨むと、あなたがたは、わたしの証人となる。」とおっしゃいました。すべての人が使徒や牧師ではないでしょう。けれども、すべてのキリスト者は主の証人です。聖霊に満たされるならば、キリストを信じる者はだれでもみなキリストの証人です。旧約時代においては、聖霊預言者や王や祭司といった特別の職務につく人たちにだけ注がれたのですが、新約の時代となって、聖霊はすべてイエス様を信じる信徒に注がれうるようになったのです。初代教会の世界宣教の力は聖霊を注がれた信徒たちでした。
 フスト・ゴンサレスという教会史家は、注目すべきことを指摘しています。たしかに使徒パウロは偉大な宣教者である。しかし、我々は使徒パウロの宣教の働きを過大評価してはならない。初代教会において、福音宣教のおもな主体は一般信徒であった。福音は、信徒の家々で、市場で、町の広場で、あるいは畑で広められたのです。たしかに、たとえばローマ教会はだれが始めたのですか?使徒ではありません。パウロ自身、ローマに行きたいと切望しています。ローマ教会を始めたのは名もなき信徒たちでした。彼らがキリストの証人でした。
 けれども、やがて4世紀になり、キリスト教会が帝国の国教となっていくと、伝道はプロフェッショナルな司祭、牧師の特権であって、信徒は伝道をしてはいけないのだという考え方が支配的になっていきます。そういう時代は、近代まで続くのです。しかし、聖霊が注がれて敬虔主義運動が始まり、牧師・信徒たちは日曜礼拝だけでなく週日に集ってともに祈り、みことばを分かち合うようになりました。そして聖霊の喜びに満たされて、キリストの証人として立ち上がるようになり、世界宣教が始まるのです。近代世界宣教の父と呼ばれたウィリアム・ケアリーは靴屋さんでしたが、世界宣教への情熱を神様から与えられて立ち上がったのです。世界宣教はやはり聖霊に満たされて主の証人となった信徒たちが担い手となっていったのです。同盟教団も、そういう敬虔主義運動から生まれたのです。

2.魔術師シモン

 ところで、ピリポの伝道の評判を聞いて、サマリヤに住む魔術師シモンという人がやってきました。サマリヤ地方には、異教的なものが混在していたことがうかがえます。異民族との混血によって、外国の偶像崇拝や魔術が入り込むようになっていたのです。内憂外患ということばがありますが、初代キリスト教会が直面した外患つまり外側の問題は二つありました。一つは、ユダヤ教当局による弾圧であり、もう一つがこの異教的なるものでした。初代外教会が置かれたヘレニズム・ローマ世界は、北インドペルシャイラク・エジプト・ギリシャ・ローマという広大な地域を一まとめにしたものでしたから、さまざまな民族のさまざまな宗教・文化が渾然一体となって、文字どおり八百万の神々や魔術がはびこっている世界だったのです。サマリヤの魔術師シモンも、そういうもろもろの神々、実は悪霊どもの力、を利用する魔術師でしたが、ピリポのところにやってきました。シモンは「以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、『この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ』と言っていた。 人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。」(9-11節)とあります。彼は「神の力だ」と呼ばれて、得々としていたのです。
 シモンはどうやら唯一の神、唯一の救い主イエスについての教えをちゃんと理解もしないままに、軽い気持ちで洗礼(バプテスマ)を受けてしまったようです。おそらくシモンは、これまでありとあらゆる偶像礼拝・魔術・呪法をとりいれて商売をしてきたので、洗礼を受けるのもまた魔力の獲得のためと思っていたふしがあります。そうして、「ピリポの魔術」(ほんとうは魔術ではないのですが)を盗むべく、「いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。」(12,13節)のです。シモンは伝道者ピリポのそばにいながら、キリストの真理が全然見えていませんでした。そうして洗礼を受けた身でありながら、悪霊との交流である魔術をやめていませんでした。これはシモンにとっても、そしてシモンに接する信徒たちにとっても危険なことでした。

 しかし、このシモンは幸いでした。彼には悔い改めるチャンスが恵まれたからです。ペテロとヨハネが来たのです。ピリポは先に行って大胆にイエスの御名を宣べ伝えましたが、自分は使徒ではないし、使徒たちほどには主イエスとともに交わり、親しく教えてもらったわけではありませんから、十分な知識も足りないことをわきまえていました。そこで、ピリポは使徒たちにフォローを頼むためにサマリヤ宣教の報告をエルサレム教会にしたわけです。それで使徒ペテロとヨハネがサマリヤにやってきます。ピリポはすぐれた信徒伝道者でしたが、それは彼が大胆に福音を伝えたからであるともに、彼が己の分をわきまえる謙遜な品性を備えていたからです。こんなわけでピリポからサマリヤで回心が起こったという報せがエルサレム使徒たちのもとに届きました。そこで、「 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」(14-17節)
 聖霊がくだったしるしがどのようになものであったかははわかりませんが、あるいはペンテコステに起こったようにサマリヤ人が外国語で話し始めたのかもしれません。どんなしるしであれ、サマリヤ人には神のことはわからないというユダヤ人の固定観念をとりのぞくのに十分な聖霊が注がれたというしるしが与えられたのでした。こうしてサマリヤ人も回心できるのだということがあきらかにされました。
 ところが、これをそばで見ていたシモンは、魔術者の発想から、このことを捉えました。シモンは、ペテロやヨハネやピリポが行なう奇跡が、魔術の一種であると思い込みました。それで私もあの魔力が欲しいなあと思いました。そして、その使徒の権威をカネで買おうとしたのです。 「使徒たちが手を置くと御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、『私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい』と言った。」シモンも魔術師として、いままで霊的なパワーを得るためにはたくさんお金を積んできたのでしょう。ですから、使徒の権威がカネで買えると思ったのです。
 しかし、これは聖なる神様をけがすことばでした。 ペテロは彼を厳しく叱責します。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。」(20,21節)そして使徒はシモンに悔い改めを迫ります。使徒にはシモンがキリストの救いを何か多くの魔術の一つだと考え、敬虔を利得の手段だ と考えていることを見抜いたからです。つづけてペテロは言います。「 だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。 あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」(22,23節)
 ペテロの率直な叱責を受けて、シモンは震え上がって悔い改めました。 シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」(24節)
 シモンは滅びないですみました。よかったですね。改めてバプテスマを受けることはしませんでしたが、シモンはようやく魔術というわざがどれほど罪深い行いであるのかということに気が付きました。そうして、自分がどれほど赦されたのかを知って、喜んだのです。「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた」のです。
 
むすび
 エルサレム教会弾圧によって、福音の宣教は留められませんでした。かえって、蜘蛛の子のように散らされた信徒たちは「主の証人として」先々で福音をひろめました。信徒伝道者ピリポによって、福音がついにユダヤ人の枠を超えて、サマリヤ人にもたらされました。それが、使徒によってではなく、信徒によってなされたことには大いに意義あるところです。聖霊がすべての信徒にくだる時代が訪れたことの現われでした。世界宣教は、聖霊を受けた信徒が主の証人になることによって実現しました。

 福音が異教的な地域への広がったとき、一つの課題が見えてきます。魔術師シモンのことは他人事ではありません。私たち自身、八百万の神々の世界であるこの日本に生まれ育った者ですから、注意をしないとキリスト者になったつもりでも、ともすると異教的な考え方に逆戻りしないともかぎりません。もし、そういうことを聖霊によって心に示されたとすれば、言い訳をせず、また、心をかたくなにしないで、すなおに神様の前に悔い改めるのが幸いへの道です。
 神は唯一です。そして、神がくださった救い主も唯一であって、それは人となってくださった神イエス・キリストです。