苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大海、小海  (追記2014年12月24日)

 888年6月20日(仁和4年5月8日)、佐久平から善光寺平にいたるまで千曲川の大増水で大量の土砂が流れ広がり、「平安砂層」が形成されたことがあきらかにされている。その原因は、南牧村海尻、小海八那池付近に前年できて、5億立方メートルという大量の水を蓄えていた天然ダムが決壊したことである。
 この天然ダムが形成された原因については、二通りの説がある。一つは八ヶ岳の水蒸気爆発によって天狗岳東面が山体崩壊を起こして、千曲川を閉塞したという説である。もう一つは前年887年8月22日(仁和3年7月30日)16時頃に起きたプレート型の巨大地震(いわゆる東海・東南海・南海連動地震)によって、天狗岳山体が崩壊し岩屑なだれとなって、千曲川を閉塞したという説である。
 いずれにせよ、崩壊した天狗岳東面は大月川の谷を駆け下り、千曲川の流れる谷底の今日でいう海尻付近に高さ130メートルの堰を成して千曲川をせき止めた。岩屑なだれの他の部分は千曲川をさらに駆け下って行き、特に相木川の合流地点に高く堆積して高さ30メートルの堰を成して相木川をせき止めた。この丘が現在、教会堂が建ってい筆者が住んでいる見晴台であるらしい!海尻の堰から千曲川上流にできた湖が「大海(南牧湖)」、相木川がせき止められてできたのが「小海」である。
 大海と小海には、それぞれ千曲川の流れ、相木川の流れが、蓄えられて、「大海」のほうは翌888年(仁和4年)の二度目の梅雨を迎えようとしていた時には12kmも上流の大蔵峠南側まで達していた。その貯水量はなんと5.8億立方メートル。降り止まぬ雨のせいで大海の水は天然ダムを越え、ダムを裏側から崩し始め、ついに888年6月20日(仁和4年5月8日)ダムは決壊した。その莫大な土石流は千曲川の両岸を激しく洗い巻き込みながら流れくだり、佐久平、さらに百キロかなたの善光寺平を大洪水に巻き込んだ。今日「平安砂層」と呼ばれる50センチから1.8メートルもの泥砂の層は、その大洪水の跡である。
 参照 http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/nawi/musha/887/index.html
    http://gunma.zamurai.jp/pub/2010/heian.pdf

 その結果、「海尻」付近の天然ダムは低くなり、「大海」は小さくなって、3キロメートルほど上の千曲川流入する場所には「海ノ口」と地名がついた。しかし、123年後の1011年9月3日(寛弘8年8月3日)に再び決壊し、下流域に再び被害をもたらして消滅した。一方、相木川をせき止めてできた長さ3km、貯水量660万立方メートルの「小海」はその後、戦国時代まで600年以上残っていたことが古地図でわかっているが、どのようにして消滅したか記録には残されていない。
 ダム決壊による被害はすさまじい。かつて八ヶ岳に山体崩壊を引き起こした周期100年〜150年のプレート型大地震が日本列島をまもなく襲おうとしている時期にあって、日本中の老朽化したダムの補強・改修が喫緊の課題である。前回の安政の大地震1855年だった。あちこちに新しいダムを造るより、こっちのほうが大事ではなかろうか。まあ直接なにもできない立場の私どもとしては、天地の主にお祈りすることと、万が一の場合はいつお迎えが来てもいいようにイエス様を信じることが肝心である。天変地異を考えると、結論はいつもこれだなあ。

 「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう』と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
  むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」ヤコブ書4:13-17
(明日に続く)

 教会堂のある見晴台


<参考>
*学者さんのレポート
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jepsjmo/cd-rom/2000cd-rom/pdf/sl/sl-017.pdf
http://www.sff.or.jp/H21Gakkai02.pdf
*地元小海稲子の人のレポート
http://google-earth-travel.net/mercury/0908170008.html
*「平安砂層」について
http://pringles.blog23.fc2.com/blog-entry-270.html
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/nawi/musha/887/index.html


追記2014年12月24日>
 上に「小海」というダム湖の形成について書いたことには疑問がある。「岩屑なだれの他の部分は千曲川をさらに駆け下って行き、特に相木川の合流地点に高く堆積して高さ30メートルの堰を成して相木川をせき止めた。・・・(中略)・・相木川がせき止められてできたのが「小海」である。」
 なぜなら、海尻から小海見晴らし台までの距離がありすぎる上、岩屑が転がってくるような傾斜もない。むしろ、「小海」の形成については、こう考え直すべきであろう。まず、八ヶ岳天狗岳崩壊で887年に高さ130メートルの海尻ダムが形成され、翌888年の梅雨時にこれが決壊して一気にダムをなしていた岩屑を下流の小海方面に押し流し、それが小海見晴台として体積して相木川を閉塞した。したがって、小海の形成は大海形成の翌年888年であろう。