苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

フランクル『夜と霧』

 今は手元にない本であるが、記憶をたどって短くメモをする。
 二十歳の頃に読んで、人間というものはここまで絶望的に罪深い存在なのかと衝撃を受けた本だった。筆者フランクルは、ナチスの時代にダッハウ収容所で行われた合理的な殺戮工場の現場に、一人の収容者として居合わせた。本書はその経験の記録文である。だが、本書がもしナチスの非道をただ告発したルポルタージュであったなら、書かれてまもなく古典――つまり、数百年後にも読み継がれていくべき本――の一冊として目されることはなかっただろう。
 人間というものの底知れぬ罪深さと同時に、人間の精神性と希望をあわせて教えてくれたのが、この本だった。絶滅収容所というこの限界にまで外的自由と人間としての尊厳を奪い去られた環境において、生き残りえたのは、肉体的に強壮な人々ではなくて、むしろさほど強靭な肉体には恵まれていなくとも豊かな内的世界をもつ者であった。この事実は、唯物的人間観というものがいかにも薄っぺらなものにすぎないかということを暴露し、その眼鏡では見えなかった人間の精神の世界のリアリティを、私たちに指し示している。
 人はなにによって生きるのか?読む者は深淵から響いてくる答えをここに聞くだろう。