苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法は国産品 その2

2.第9条も日本製

 日本国憲法は、憲法研究会の鈴木安蔵が書いた草案を骨子としてGHQが作成した英文憲法草案を邦訳したものである。しかし、日本国憲法の最大特徴の一つである第九条戦争放棄条項が、日本の首相幣原喜重郎の発案である。また、この憲法が発布されたとき、日本国民はこれを喜んで支持した。(以下は、伊藤成彦氏の「軍縮問題資料」1995年所収論文から略述。)
 一九四六年一月二十四日正午、幣原首相はマッカーサー元帥を訪ね、約二時間半会談をした。この会談の内容について、マッカーサーは一九五一年五月五日の米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会で証言をしている。少し長くなるが引用しておこう。
 「日本の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談にきました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし、私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです。』と。
 それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それは取られ得る最高に建設的な考え方の一つだと思う、と言いました。世界があなたをあざ笑うことは十分にありうることです。ご存知のように、今は栄光をさげすむ時代、皮肉な時代なので、彼らはその考えを受け入れようとはしないでしょう。その考えはあざけりの的となることでしょう。その考えを押し通すにはたいへんな道徳的スタミナを要することでしょう。そして最終的には彼らは現状を守ることはできないでしょう。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。そしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。」
 この会談については、日本側からの証言もある。幣原首相の友人枢密顧問官大平駒槌は「(幣原首相は)かねて考えた世界中が戦争をしなくなるには、戦争を放棄するという事以外にはないと考える、と話し出した。ところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙をいっぱいためて、そのとおりだ、と言い出したので、幣原はちょっとびっくりしたらしい。」と回想している。
 幣原首相は外相時代、平和外交の旗手であった。ところがその後、日本は中国において「自衛」と称して侵略を続け日米開戦にまで暴走してしまった。その苦い経験に基づいて、明瞭な戦争放棄が必要と考えたのだろう。また連合国側の天皇処罰要求を前に、国体護持のためには、これ以外道はないと考えたという観測もある。他方、軍人マッカーサーは太平洋戦争の残酷さを経験し、かつ核兵器の登場という事態を見て、少なくともこの一時期、戦争の廃止以外には人類を滅亡から救う道はないと思い至ったのである。マッカーサーは、その後の朝鮮戦争の頃の動きを見ればわかるように、永続的に戦争放棄を維持し続けるほどの人物ではなかったのだが、この一時期、幣原発案の戦争放棄の理想に感激し、それが日本国憲法に刻み込まれるということになったらしい。一種奇跡に近いタイミングだった。
 改憲派の人々のああだこうだと、マッカーサー、幣原の回想録発表の時期などから多くの推測交えて「ためにする」反論をしていることは承知している。だが、文書的な証拠は上のことを語っている。以上のようなわけで、新憲法のもう一つの特徴である憲法第九条戦争放棄条項もまた、国産なのである。
(参照 http://www.hotdocs.jp/file/68163

まとめ
 日本国憲法の三大原則は、<国民主権基本的人権の尊重・平和主義>であるが、前の二つの原則は、明治の自由民権運動(特に植木枝盛)の憲法史を研究した鈴木安蔵が起草した憲法研究会案が出所であり、第三原則は時の総理大臣幣原喜重郎による。これらがGHQによって英訳され肉付けされて、GHQ草稿日本国憲法が作られ、これが邦訳された。日本国憲法はこういうわけで本質的な意味では国産品と言って良いだろう。