苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

共和制?君主制?民主制?立憲君主制?

 「共和制であるからといって、民主的とはかぎらないところが、世界史のむずかしいところです。」と山内昌之教授が言われたことについて(昨日のブログ)、少々付け加えたい。山内教授は、米国を一例として挙げていた。米国はイングランド王を排して共和制を樹立した共和国であるが、奴隷制と人種差別、他国への侵略行動という二点において、民主的でないという話だった。山内教授は言外に、民主制は本来的に奴隷制とか帝国主義的行動をしないはずなのに・・ということをほのめかしていたわけである。
 少々用語を整理する。共和制と君主制は対立概念である。つまり、共和制とは王や皇帝のような君主を戴かない政治形態である。
 では、民主制とはなにか。民主制とは国民主権の政治体制を意味する。単純に考えると王がいたら王は主であるから、民主制は成り立たないと思われる。そういう考えから言えば立憲君主制というのは不完全な民主制だということになろう。しかし、歴史上の実例を見るとどうもそうではない。民主制の政治手法として元首として大統領を立てる共和制と、憲法によってその権限を制限した君主を立てる立憲君主制があると考えるほうが現実的であると思われる。
 日本国憲法は、国民主権を謳い、かつ天皇の権限を国事行為にのみ厳しく制限している。よって日本国は立憲君主制の民主制国家である。同類に英国や北欧諸王国がある。だが、民主制と君主制が対立概念であるという見方をする人々は、日本が立憲君主国であることを認めることもしないようである。日本国憲法国民主権を謳っているのだから、天皇が君主であるはずはないというのである。だが、これは民主制と君主制を対立概念として誤解した結果の見方であると思われる。民主制の一つのタイプが立憲君主制なのである。外国は常識的に日本の政体を立憲君主制と見ている。そして、もう一つの民主制のタイプが、王を廃した米国やフランスやドイツやイタリアのような共和国である。
 さて、「共和制であっても民主的とはかぎらない」とはどういうことか?歴史上に実例は多い。たとえば17世紀クロムウェル独裁のイングランド共和制、18世紀フランス革命期の第一共和制の恐怖政治、20世紀ヒトラーが総統時代のドイツ、また戦後の北朝鮮も共和制だが民主的でない。このように実例をみてくるとわかるように、意外なことに、共和制は独裁政治に傾きやすい。なぜか。理由の一つは、共和制は大統領にすべての権限が集中する制度であるからである。立憲君主制の場合は、国民統合のシンボルという機能は君主が担当し、実務的権限は首相が担当するという分担が行なわれるが、共和制の場合は、大統領ひとりに統合のシンボルと実務権限が集中する。もっとも大統領制では、こうした権力の集中が起こらないために、大統領と首相の両方を立てて象徴と実務の分担をさせる手法を取ったり(ドイツ)、象徴・実務を兼務する大統領であっても議会による牽制をおこなう(米国)。かつてドイツでは、首相であったヒトラーは、ヒンデンブルク大統領が死ぬと自ら首相と大統領を統合して総統となって独裁政治を行なった。
 共和制がえてして非民主的・独裁に傾きがちなもう一つの理由は、伝統といういわく言いがたい価値の体現者としての王を排して、「今みんなで多数決で選んだ」という合理的価値を最大限に評価して大統領を立てるので、ダイナミックではあっても、急進的で安定感に欠くということであろう。そこには熱狂が伴うことが多い。
 共和制が非民主・独裁に傾く理由の三つ目は、歴史的に見ると君主制と共和制で社会構造が違うからである。中世の封建制社会にあっては、君主の下に領主階級という中間層がいた。民は領主たちの領民であったから、王とは直結していなかった。ところが、革命によって、封建的遺制として君主と領主階級が倒されると、人民は中央政府に直結される構造になった。つまり、王政にあっては<王―諸領主―領民>という多元的社会構造だったのが、共和政になると<中央政府―国民>という中央政府と国民が直結する一元的構造になったのである。以前は「領民」意識だった民たちは、共和政がしかれると「国民」の自覚を持つようになった。自分たちが選んだ大統領が強力かつ巧みに誘導すれば、「国民」はその方向へと走り出しやすい。つまり全体主義化しやすい。
 思いつくままに書いたのだが、このように共和制型民主制という仕組みは、三つの理由で全体主義に陥りやすい性質があることはわきまえておく必要がある。わきまえて、安全装置を工夫しておく必要がある。
 歴史を振り返れば、国家体制についていろいろな工夫がなされてきたが、いずれにしても罪ある人間の建てる制度であるから完全なものはない。歴史に学び、それぞれの政治の仕組みの長短を見極めてこれを運営することが大事だというのが結論となるのだろう。日本の場合、現状は立憲君主制型民主制である。これにはどのような性質が伴っているであろうか。これが次の課題。