苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

『葉隠(はがくれ)』(その1)

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」ということばで有名な『葉隠』である。本書は佐賀鍋島藩藩士山本常朝の作であり、すでに戦国期の実戦的な武士の時代ははるか遠くになって、ひたすら忠義のために生き、忠義のために死ぬという江戸期の武士道の精神を表す。筆者にとって『葉隠』が興味をひくのは、そのどこまでもまじめに武士の道に徹しようとする純情な姿に、かえって世間離れしたユーモアを見るからである。
 実は、もうひとつ理由がある。それは、筆者の思い出の中に「この人こそまさしく葉隠武士」というイメージの人物が住んでいるからである。母校東京基督神学校校長であった丸山忠孝先生である。忠孝先生は、その名のごとき人で、兄上、軍司牧師は特攻隊の生き残りでいらした。出自にくわえて、忠孝先生をさらにお侍さんにしてしまったのは、長い欧米留学経験であった。「男児志を決して郷関を出づ 学若し成らざれば死すとも帰らず」との覚悟で遊学されたからであろう、留学先から手紙はほとんど書かれなかったと聞く。長らく日本から遠く離れて生活されたことが、忠孝先生をいよいよお侍さんにしてしまったのではなかろうか。忠孝先生は富士の写真を蒐集し、桜を愛でられた。卒業式の説教題は「桜と十字架」。
 また私のキリシン入学の少し前、「丸山忠孝土下座事件」があったと、その事件当時TCCの学生だった妻から聞いた。なんでもキリシンの学生たちのTCCに対する無礼の責めを一身に背負ってなされたチャペルの時の土下座だった由。ただ、土下座を受けたTCCの樋口学長はハワイご出身でいらしたので、土下座の作法など知る由もなくぽかんとしていらしたというのは、かえって気の毒な感じがする。土下座を受けたら、肩に手を置いて「貴殿のお気持ちはようわかった。ささ、顔を上げ立ち上がられよ」といわねばならないそうである。
 『葉隠』の一節で、これぞまさに忠孝先生という箇所がある。奈良本氏の現代訳で。
「一見しただけでも、その人の長所が威厳となって出てきている。謙虚な姿のなかにそのような威厳があり、もの静かに行動するところにもまたそのような威厳がある。言葉数が少ないところにも、礼儀の正しいところにも、行いの荘重なところにも、ぐっと口を結んで眼光の鋭いところにも、それぞれの姿のなかに威厳というものが現われている。これはみな、現われたところである。つまるところは、気をゆるめないで、いつも真剣に考えているところが根本である。」
「賢さを顔にあらわす者は、人々から相手にされない。どっしりと重みがあって、厳然としたところがなくては、姿・形や態度はよく見えないものだ。いかにも謙虚で、苦味ばしって、立居振舞の静かなのがよい。」
 忠孝先生は、当時、ほんとうにこんなふうだったなあ。筆者も、あんなふうに苦みばしって振舞いたいなあなどと憧れて努めたが、もともと山本常朝が軽侮する上方出身のせいか、どうも三日も持たず馬脚を現してしまった。