苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

辛味を失ったわさび(通信小海191号抜粋)

 今年四月、オバマ米大統領プラハで「核のない世界」を目指すという画期的な演説をした。広島と長崎に原子爆弾が落とされて以来、世界は核兵器開発のために血道をあげてきた。そのために、どれほど多くの人々が苦しんできたか。ビキニ環礁での水爆実験では、米海軍兵士と日本の第五福竜丸船員が被爆した。また札幌医科大学の高田純教授の調査によれば、中国の新疆ウイグル自治区では一九六四年以来四十六回核実験が繰り返されて、十九万人が急死し、百二十九万人のウイグル人たちが深刻な健康被害を受けているという。
 参照→http://www.news.janjan.jp/world/0903/0903209790/1.php
 こんな状況の中で世界最大の核保有国の大統領による核廃絶演説は、素晴らしいニュースである。
 ところが、米国の「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラーキー氏が世界に訴えているのは、オバマ大統領の核廃絶に反対する勢力が米国政府内にあり、彼らの反対の根拠の一つは、日本の政府・官僚が核廃絶に反対しているということなのである。カラーキー氏の訴えの要約は、次のとおりである。http://www.youtube.com/watch?v=itFI87hixy0
 「米国は、外交政策の基本として、『核態勢見直し(NPR)』に入っており、重要な局面を迎えている。米国は、九月から十月に新しい核政策を決定しようとしているが、米政府部内、国務省国防総省国家安全保障会議のメンバー、特にアジア専門家の間に、オバマ氏の構想に反対の人たちがいる。その理由は、日本政府の『懸念』。日本の外務省、防衛省など安保外交政策を担当する官僚が、『米政府は核政策を転換しないように』と訴えている。人類史上初めて核兵器の攻撃を受けた国の政府が核政策の転換に反対するのは、皮肉であり悲劇だ。日本国民は、オバマ氏の核廃絶ビジョンを支持する声をあげてほしい」(要約者不明)
 筆者はこの訴えを知って、日本政府がそういう動きをしているということには憤りを覚えたけれども、意外ではなかった。政府・官僚はアメリカの核の傘がなくなったら、日本は中国と北朝鮮とロシアの脅威にさらされるというふうに考えるのだろう。口先では「核廃絶」といいながら、日米同盟にしがみついているのだから本音はちがうことはあまりにもあきらかだ。
むしろ筆者が驚いたのは、こうした重要な事件を、日本の大新聞もテレビもラジオも取り上げていないという状況である。いったい、日本のジャーナリズムはどうなってしまったのだろう。広告収入で維持されている実情だから、なにも言えないのだろうか。
旧約聖書の時代、王たちは常に聖書の戒めに心を留めて国を治めるようにと命じられていた。けれども、富と権力と武力を持つ王たちはえてして堕落した。王を戒めるべき神殿の祭司たちも、王のご機嫌とりになってしまうことが多かった。神殿の維持運営のためにスポンサーをしてくれたのが王であったからである。 その時代に神は預言者と呼ばれる人々を王のもとに派遣なさった。神の言葉を預かっているという意味で預言者というのである。彼らの多くは在野の人々だった。預言者たちは権力の後ろ盾なく、神から預かった警告のことばを伝えて王と国民に悔改めを促した。当然、預言者は悔改めない王や民から迫害にあったが、彼らは屈しなかった。
 マスコミは神の預言者ではないけれど、民主主義社会において、権力や大企業の不正や暴走を許さないために重要な役割を担っている。先の郵政選挙以来、選挙に一番大きな影響を与えてきたのはマスコミの報道であろう。だが、そのマスコミが権力におもねるような大本営発表式の報道しかしないのであれば、もはや辛味を失ったわさびにすぎない。
 ここまで書いたら、「おいおい、わたしがこの時代に、聖書のことばを託して遣わした預言者は君たちキリスト者ではないか。塩気を失った塩になるな。」という御声が胸に響いてきた。反省。

 コスモス