苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

手近な備えと 究極の備え(通信小海191号抜粋)

 「大気イオン地震予測研究会」(理事長 弘原海清、元大阪市立大学理学部長)が、八月末から九月末の間に、M7〜M8クラスの地震が関東地方に起こる可能性が高いと発表している。同会は、大規模な地震の前に大気中のプラスイオン濃度が、通常の五倍以上に上昇する現象が観測されるという観察事実に基づいて、地震発生の予測の研究を続けている。例えば、2000年の鳥取県西部地震では三ヶ月前に普段の約十倍、2001年の芸予地震では一週間前に約三倍が計測されたという。http://www.e-pisco.jp/
 ただし、お金のないNPOなので観測機械が、全国に6つしか設置されていないためか、過去の実績を見てみると、大地震発生を告げることはできても、その地震がどの地域に起きるかということについて特定する能力は不十分であると思われる。そして今回注意をうながされている場合の地震については、千葉房総の観測機と神奈川厚木の観測機がともに異常値を示し続けているということに基づいている。
 地震予測としては、ナマズの生態観察や地震雲の発生観察や、電波の変化の観察、そして大気のイオン量観測などいといろな方法が考案されているが、これといった決め手がないのが現状である。大気イオン地震予測研究会としても発生確率は七割から八割と言っていて、必ず起こると断言してはいない。
 こういう地震予測を聞くたびに思うことは、「必ず起こると公的にその可能性が認められない以上、引越しするわけにも行かないし、近々地震がある可能性が高いと言われる場所にでも仕事があれば出かけざるをえないなあ。」ということである。
 それで、結局、大地震の備えとしてできることは、引越しや転職ではなくて、ごく手近なものと、逆に、究極的なものとの二つだけにならざるをえない。
手近な備えというのは、戸棚が倒れないようにつっかえ棒をすることや、食糧・水・簡易トイレを一週間分用意することや、それから、寝るときは枕元に靴と懐中電灯を用意するといったことである。田舎だと水やトイレの問題はなんとかなりそうだが、都市部の場合は、ほんとうに困ってしまう。筆者にも東京方面に息子がいるので、手近な備えをせよと連絡しているが、果たして実行しただろうか。以前、防災袋を持たせたら、数日にして中の食料品は食べてしまったと言っていた。
 究極の備えというのは、イエス様を信じることである。棚が倒れてこないようにつっかえ棒をしていても、住んでいる家そのものが崩壊して、埋められてしまうかもしれない。住む家では備えをしていても、外出して地下鉄に乗っている最中に地震にあえば、それで生き埋めになってしまうかもしれない。新宿のビル街を歩いている最中に地震が襲ってきたら、落ちてくるガラスやオフィス家具類がぶつかってで命を落とす可能性がかなり高い。
 究極の備えというのは、死への備えである。「人には一度死ぬことと、死後にさばきを受けることがさだまっている」のだから、死後のさばきに備える必要がある。人は、その心の中の思いと、口にした言葉と、その行ないに応じて神の裁きを受けることになる。神の御前に出たそのとき、「たしかに私はあなたの前では罪がありますが、イエス様が私の罪の身代わりに十字架で苦しまれたことを信じるクリスチャンです。」と申し上げることができるように備えることが必要なのである。そうすれば、永遠の住まいに関する心配はいらない。