苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大リーグボール1号とハゲ

 小学生のころ一世を風靡したマンガに「巨人の星」がある。甲子園で剛速球投手として鳴らした星飛雄馬はあこがれの巨人軍に入団した。しかし、入団当初こそ通用した飛雄馬の球は、やがてプロのバッターたちにポカポカ撃たれるようになり、しかも、いったん撃たれるとホームランになってしまうのである。小柄な飛雄馬の球は、球質が軽いということだった。ほどなく飛雄馬は二軍に転落した。
 二軍転落の数日後、とある禅寺の参禅者の列の中に失意の飛雄馬の姿があった。横一列の参禅者の背後を禅僧が行き来して、からだが揺れる者の肩に警策をピシリ、ピシリと当てていく。飛雄馬は何度も打たれた。
 座禅が終わって、茶を勧めながら高僧が飛雄馬に言った。
 「お若い方。ずいぶん打たれておられたようじゃのう。・・・・打たれまい打たれまいとするから、打たれる。むしろ、打たれてみようという境地になるならば・・・」
 この瞬間、飛雄馬のあたまにひらめくものがあった。『今まで、おれは打たれまい。打たれまいとしてきた。だが、むしろ打たれてみよう・・・と考えたらどうだろう。』と。
 このようにして打者のバットにあえて当てて、凡打に打ち取るという大リーグボール1号が発明された。
 いったん円形脱毛症になると、洗髪のたびに抜け毛が気になって、頭をそうっとしておこうとして、洗髪がおろそかになる。洗髪をおろそかにすると、頭皮がアブラっぽくなってよけいに抜ける。抜けるから怖くてごしごし頭を洗わない。すると、また抜ける・・・・。悪循環である。また、精神的次元でも悪循環がある。何らかのストレスAが原因となってハゲができたとする。ハゲが出来たとき、それを気にしているとその「気にしてハゲを隠そうとする」ストレスBが原因となって、ハゲが治らなくなる。するとすでにストレスAは終わっているのに、ストレスBゆえにハゲが治らないことになる。小学校のときの私はまさにこの悪循環の中に陥っていた。
 私を悪循環から救出したのは山本敏雄先生の「ハゲがなんじゃい!」という一喝だった。「ハゲまい、ハゲまいとするからハゲる。むしろハゲてみよう。」という境地に立つ。「えーい。ハゲなばハゲよ!」と開き直ってしまう。すると不思議、毛が生えてきた。
 アブラムとロトは約束の地で、それぞれの家畜が増えたとき、両者の郎党たちの間に草地・水場をめぐって争いが起こった。そこでアブラムはともに暮らすことはお互い不幸なことであると考えて、住む場所を分けようと甥のロトに提案した。このとき、アブラムは叔父の立場であったから、自分が先に土地を選ぶと主張することができたにもかかわらず、ロトに先に土地を選択することを許した。ロトはシメシメと考えて、ヨルダン川沿いの緑の低地を選んだ。アブラムは荒野に行くことになった。ところが、そのとき主からアブラムに声があった。
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。」
 この後、「得た」と思ったロトは結局すべてを失い、失ったアブラムはすべてを得ることになる。(旧約聖書創世記12章後半参照)
 得よう得ようとすれば、失う。むしろ手を開いてしまうとき、神が与えてくださる。・・・・牧師のブログらしくなったかな。