苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

マンネリを恐れず

私たち現代人は変化を求めたがる。去年より今年、先週より今週、昨日よりも今日、となにか変化がなければいけないのではないかと、ほとんど脅迫されているほどである。たしかに、去年より今年あたらしい工夫をしたいという楽しむ気持ちはよいのだが、それが焦りとか強迫観念にとらわれてのこととなると、不健全な気がしなくもない。
それは古代においてもそうだったらしい。荒野を旅したイスラエルは、神が天から与えてくださった不思議な食べ物マナを初め感謝して食べていた。それはコエンドロの実のように甘くておいしいものだったという。でも、毎日毎日マナが続いたとき、彼らは食べ物は「なにもない。あるのはマナだけだ・・・」と不平を言うようになり、主のみこころをそこね、罪を犯した。マナバカリがなまってマンネリとなったわけではないけれど、マンネリにしてやられたのであった。しかし、さすが古代人だ。40年間マナばかりでよくやったなあといったら、神様に叱られるかな。スミマセン。
 宮村武夫先生はよく「マンネリを恐れず!」とおっしゃった。千里の道を一歩一歩踏みしめてゆこうとするのが人生であり、一度にすべてではなく、少しずつなのだから、そんなに変化ばかり期待すると、その期待が失望に変わってしまう。
平々凡々とした日々のなかに、喜びと神への感謝を見出して生きること。これがたいせつ。

*近々、宮村武夫著作シリーズが刊行されます。第一巻は『愛の業としての説教』です。