苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本人のDNA

 外国には一つの国の中で複数の言語が通用している例がままあるのを見て、多くの人は、「日本人は言語はひとつだし、島国で単一民族だ」というイメージをまず抱き、そして、「いやいや北海道にはアイヌの人々が住んでいるのだ」と頭の中で訂正する。筆者もそういう一人であった。ところが、日本人のDNAを調査した学者が客観的に示す事実は、日本人に関するこのイメージを根本からくつがえしてしまった。日本人ほど多くの種類の民族のDNAを含んだ国民は少ないというのである。(崎谷満『DNAでたどる日本人十万年の旅』)
 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙3日本人のルーツを探れ』によれば、日本人のミトコンドリアDNAには、日本人固有型、韓国型、漢人型、アイヌ型、沖縄型、5集団以外の型が含まれており、日本人固有型はなんとわずか4.8パーセントにすぎない。これは中国人(漢人)のDNAでは中国人(漢人)固有の型が60.6パーセント、韓国人のDNAの場合、韓国人固有の型が40.6パーセントであることに比すれば異常なほどに少ない。さらに、5集団以外の型がなんと21パーセントも含まれているのが日本人の特徴である。ということは、DNAの観点からいえば純血種「大和民族」というのは実在しないのである。むしろ日本人の特質は、そのDNAの多様性、雑種性にあるといったほうがよい。
 そういえば、典型的な中国人の顔、典型的な韓国人の顔はイメージしやすい。ところが、日本人と来たら実にさまざまな顔立ちをしている。朝青龍のような一重まぶたで色白の丸顔のモンゴル型の顔立ちの人もいれば、眉が濃くて彫が深く二重まぶたで色が浅黒い南方系の顔立ちのアクション俳優がいたり、あるいは、色白で中高で二重まぶたで目の色が淡いというヨーロッパ系の顔立ちの人もいる。また色白で面長だが彫は深くなく鉤鼻で目は一重で「まろは・・」と話し出しそうな公家顔の人も見かける。典型的な日本人顔というのはイメージしようがない。
 外国生活をした人が口を揃えて言うのは、日本における食生活の豊かさである。日本人は和洋中華どころか、インド、東南アジア、ラテンアメリカなどなんでもおいしければOKという味覚を持っている。これは当たり前のことではない。インドネシアから友人を招いたけれど、食べられるものをさがすのに苦労をしたと知人が話していたことがある。海外文化に対する受容的な態度は食べ物だけではなく、文化のあらゆる分野に同じ傾向が見られる。こういう日本文化のありかたは、古代から日本文化が多くの渡来人によって形成されてきたことと関係があったのだろう。学問的な手続きをへて立証することは難しいにしても。
 ユーラシア大陸の地図を開いてみれば、日本はシルクロードの東の終着点である。川の流れをイメージすれば、上流から中流そして下流に進むほど、川底に沈殿するものは多様化して行き、最後の河口部の堆積物には上流から下流にいたるあらゆるものが混じっていることになる。日本は長いシルクロードの河口部に位置しているのだから、そこにさまざまな文物のみならずさまざまな人間が住むようになったのは自然なことであった。
 「日本は島国で四方から閉ざされ、単一言語で単一民族で単一文化である」というイメージ、言い換えれば「島国根性」は、徳川300年の鎖国時代が作り出し、明治以後、先の敗戦までに、さらにどうやら意図的にどぎつく色づけされた虚像なのだといわざるをえまい。
<後記>6月2日23:00
・・・・と今朝書いたのだが、下のMizコメントに書いたように、なんと、日本が単一民族国家だというふうになったのは、戦後なんだそうである。これはびっくり。もしそれが事実だとすれば、最終段落は、つぎのように直しておきたい。
 「『日本は島国で四方から閉ざされ、単一言語で単一民族で単一文化である』という虚像を捨てて、本来、シルクロードの端っこの日本には、多様な文化と人種が流れ込み融合されてできあがったものだという実像を意識したい。そうすれば、徳川三百年の鎖国政策によってしみついた『島国根性』から少しは解放されるのではなかろうか。」
 それにしても、「単一民族国家」でなくて、なおかつ「天皇を中心とした神の国」というのは論理的にどうやって調和するのか?そうとう無理がありますね。

キュウリの芽です・・・たぶん。