苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神の摂理の下に生きる

 聖書によれば、神が創造し摂理なさっている世界の本来のありようは多様にして調和しており、しかも歴史的である。このことを我々の人生に適用すると、どのような展望が開けるだろうか。神の摂理にしたがい、神のみこころにかなう人生を歩むためには、どのようなことを心すべきだろうか。

1.私たちの人生には、神が用意してくださった多様な側面がある。
 a.たとえば教会・家庭・仕事・市民といった四つの領域はそれぞれに神がくださった意味がある。それぞれのすばらしさを味わうことが許されている。
 b.しかし、一つの側面にこだわりすぎて、他のすべての側面をその一側面のために犠牲にすると調和が崩れる。仕事中毒、マイホーム中毒、市民中毒、そして教会中毒いずれも問題。たとえば伝道者のばあい、教会中毒と仕事中毒が重なるので、それが「信仰的」なのだと錯覚することが往々にしてある。一つの側面にこだわりすぎて、すべてをそれに還元してしまってはいけない。被造物にすぎないものを絶対化することを偶像崇拝と定義するなら、これらは一種の偶像崇拝である。
 c.このような偶像崇拝に陥らないためには、これら人生の多様な側面を造ってくださった神を礼拝するほかない。

2.私たちの多様な側面をもつ人生は、これを造られた神にあって調和する。
 a.多様な世界を造られた神を礼拝するときにのみ、私たちはこの多様な側面をもつ人生を調和を持って生きることができる。
 b.造り主である神の命令は、「神を愛し、隣人を愛せよ」である。すべての人生の営みの目的はここに集約される。
 c.「神を愛し隣人を愛する」という目的から目を離さなければ、教会生活・家庭生活・仕事生活・市民生活はバランスをもって営むことができる。この目的を見失うと、神の摂理の下にある調和ある人生は壊れてしまう。

3.私たちの人生には歴史的な側面がある。
 a.神の摂理は「一度にすべてでなく」目的に向かって少しずつ進められていく。だからマンネリを恐れない。忍耐が必要。今日の一歩に意味がある。
 b.すべての営みにはここぞという時(タイミング)がある。神の時を逃してはいけない。今決断しなければ、5年後にはできなくなっていることがある。たとえば子育てにおいて、十分だっこしてあげるべきときに抱っこする。