苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

本当に心配すべきこと―存在の喜び

 「聖書以外で、あなたの人生に影響を及ぼした一書を挙げてください。」
もし、このように問われたならば、私は宮村武夫編『存在の喜び―もみの木の十年』を挙げたい。宮村牧師が仕えた青梅キリスト教会付属もみの木幼児園の十周年記録文集である。
 神学生時代、私は宮村武夫先生に出会い、この書に出会って、ある意味いのち拾いをしたのである。本書は子育てについての知恵のことばを語りながら、それ以上に大切なこと、人間にとって必須のことを語っている。
 もし、私が宮村先生に出会い「存在の喜び」に出会うことがなかったならば、私の人生は使命感には満ちていたかもしれないが、たぶん殺伐としたものとなってしまっていたにちがいない。家庭もどうなっていたことか・・・。この書に出会って私は神の御前にある喜びを知ったのである。いつか詳しく書きたいと思う。下記は、子育てについて本当に心配すべきことについてふれたところ。
 

「子どもについてさまざまな不安や焦りを抱く保護者と接する度毎に私の心に響く思いは、いつもこの一事です。大部分のことは、過度に心配する必要はない。問題があるとすれば、本来それ程まで心配しなくてもよいことをあまりに過度に心配し、問題でないことを不安な一定しない思いからの取り扱い故に問題としてしまう危険です。心配しなくともよいことを過度に心配するあまり、本当に心配しなければならない数少ないことを軽視したり、無視してしまう、誠に残念です。
 では、数少ない心配すべき事柄とはどんなことでしょうか。
 園児にとって、何が無くとも、これだけは是非必要なこと、それは自らの存在が喜ばれている確認です。両親が自分の存在を喜んでいてくれる。園でも、教師や友人たちが自分の存在を喜び受け入れていてくれる。自分の存在が少なくとも或る人々に心から喜ばれているとの自覚は、必要不可欠なものだ。これこそ、この十年深まり続けてきた確信です。何が出来るか、何の役に立つかと機能の面からのみ判断されるのでなく、ただそこに存在していること自体が喜ばれ重んぜられる。この経験なくして幼児は、いや人間は真に人間として生きることは出来ないのではないでしょうか。(後略)」(四八、四九頁)

 宮村武夫先生の著作の出版計画があって、先週その編集実務委員会に出席したので、本書をひさしぶりにパラパラめくって見た次第。