苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

牧師はいのちがけ

 「たすけてー、殺されるー!」「オギャア」4月のある日の真昼間、幡ヶ谷教団理事会の最中、隣のマンションから女性の叫び声と赤ん坊の泣き声。いったい何事かと、会議は中断して、みな窓に駆け寄って、声のする窓を見上げている。ところが、その中で最年少の理事A牧師一人だけはさっとスリッパのまま外に駆けだした。私も、主の愛された弟子の後に続いたペテロのごとく、後につづいた。
 くだんのマンションの下には同じように女性の叫び声を聞いた近所のご婦人たちが数名でてきて、不安そうにマンションを見上げている。私はついて来ようとした女性のM理事に「警察に電話をよろしく。」というと、マンションの玄関に向かった。玄関に着くと、A牧師は主の愛された弟子のようには先輩を待っておらず、すでに玄関にはいって、そこにいるあの叫び声の主とおぼしき女性に詰問の最中だった。女性の手は血まみれだ。
 「部屋はどこなの。教えてください。」
 「なんで、あんたに言わなけりゃならないのよ。」
 「私たちは牧師です。困った人を助けてあげなきゃいけない。それにお子さんがいるんでしょ。」
 「ほっといてよ。何で、云わなきゃいけないのよ。」
 「なんででも、言いなさい。」(A先生、早口だ、すごい迫力だ)
 しばらく押し問答をしていたが、A牧師の押しの強さに女性が部屋番号をしぶしぶ四階だと告げると、彼はだっと階段を駆け上っていってしまった。あとから来た腰のひけた先輩は、『Aくん、だいじょうぶかなあ。相手が逆上して刃物でも出してきたら、ワイシャツ一枚のAくん、まずいぞ。ちょっと待てよ。』などとつぶやき血染めのワイシャツを思い浮かべながら、階段を駆け上っていく。すると、A牧師はあかちゃんを抱えて「よしよし」とか言いながら駆け下りてきた。夫婦喧嘩のとばっちりを受けて、あかちゃんに危険があってはならないととっさに判断しての行動だった。すごい。
 そのあと、四階の部屋にあらためて行き、女性の夫、つまり、赤ちゃんの父親に会った。30歳くらいのアロハシャツの男である。彼の手の甲と頬も引っかき傷で血まみれだ。
「ぼくが悪かったんです。すみません。どうも・・。」と、逆上した奥さんとは違って、やたらと平身低頭の夫だった。こいつ、こんなおとなしそうにしているが、女に手を上げるとは・・・。
 結局、落ち着いてきた夫に、A牧師は「私たちはキリスト教会の牧師です。悩みや相談事があったら、連絡ください。なにか力になれますから。」と言った。横で威厳をもって(?)ふむふむとうなづく小生であった。で、私たちは帰ってきた。

 A牧師のおとうさんは私の恩師である。あの判断の早さ、行動の迅速さ、あの詰問の迫力。牧師としての迷いなき、いのちがけの姿勢。そして、あの早口。おとうさん牧師そのものだ。
 あとで聞けば、「うちの近所では、しょっちゅうあんなことがあるんですよ。」とA牧師。
 「へえ。そのたんびに出かけていくの?大丈夫?」と先輩牧師たち。
 「ええ。いつか刺されるかもしれません。ははは。」と答えるA牧師だった。
 ははは、じゃないでしょうが。A君。子どもも奥さんもいるのに。でも、脱帽だなあ。そういえば、よくA牧師のおとうさん先生には、「牧師は命がけだ。」と発破をかけられたものだった。なつかしい。