苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

冗談、是か非か

 「お父さんは冗談を言っているのか、ほんとのこと言っているのかよくわからない。」と娘がいうと、隣で家内が「そうそう。まじめに一生懸命聞いていたら、終わりになって冗談やと言われて、ガクッとする。」という。
 家内は信州人で、そういえば、義兄たちが冗談らしい冗談をいうのを聞いたことがない。聞けば新潟人もそうなのだそうである。そういう話をあの奈良出身のドエグの姉妹にしたら、「冗談言わんかったら、話すことなんもないやん。」と言った。まったくその通りである。冗談のない会話は、クリープを入れないコーヒーだ。
 「でも、大樹先生は冗談なんかいわないけど、いつもいい雰囲気じゃない。」と家内が言う。たしかに、私と家内が畏敬する大樹君が冗談を言うのを聞いたことがほとんどない。ふしぎだ。だがぜんぜん堅苦しくなくて、「この樹なんの樹、気になる樹」の木陰に宿っているような気分になる。その木陰はおだやかで、かつ清いそよ風が吹いているのだ。公同的かつ聖なる雰囲気。うーん。コーヒー好きの大樹先生のコーヒーにはクリープなどではなくて、煉乳がはいっているのだ。
 憧れもするが、ま、器のちがいだなあ。「ちょっとは反省してよ」って?いやいや、冗談言わんかったら、君の愛するぼくは別人になってしまうよ。むしろ、そういう大樹君を創造し、かつ友として賜った主に感謝。
「しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」1コリント12:18−19