苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ドエグの話

 ダビデがサウル王に仕えていた頃、戦功著しいダビデに国民の人気が集まった。これに対して不安を覚えたサウル王は、ダビデを亡き者にしようとした。身に危険を感じたダビデはサウルのもとから逃げることにする。逃げ出したダビデは、自分と自分を慕ってついてきた部下のために食糧を調達したいと思った。王の敵とされ、よるべを失ったダビデが身を寄せたのは、パン屋や食糧庫でなく神の幕屋だった。ダビデは欠点もある男だが、こういうところが、神様の心をくすぐるのだ。(1サムエル20−22章参照) 
 幕屋にいた祭司アヒメレクは、通常は祭司とその家族しか食べてはならない神にささげたパンを、ダビデと部下たちに振舞ってやるという粋な計らいをした。「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」という律法の心をわきまえた祭司であった。言い換えれば、「道徳律法は儀式律法に優先する」という原理、あるいは「規則が人間のためにあるのであって、人間が規則のためにあるのではない」という原理の適用だろう(マルコ2:23−28)。
 ところが、このことをサウル王に告げ口した男がいた。エドム人ドエグである。この讒言により、サウル王はアヒメレク一族を処刑してしまう。ただ一人息子エブヤタルが難を逃れてダビデのもとに走った。

 祈り会の聖書研究でこの話をしていたら、「ドエグっていう名前が、いかにも・・やなあ。」と奈良出身の一人の姉妹がもらした。(兄弟姉妹というのはクリスチャン同士の言い方です) 一同「え?」と沈黙したが、「あそうか!」と関西出身の私だけがわかった。
 「エグ」というのは「えぐい」ということばの語幹だが、関西弁では「のどをさす」という意味だけでなく、「えぐいやっちゃ」といえば、「えげつないやつだ」とか「いやなやつだ」という意味である。しかも、このエドム人「ドエグ」は「エグ」に「ド」がついている。「ど根性」の「ど」である。「どあほ」の「ど」である。ドエグっちゅう奴は、めっちゃエグイやつやんけというわけ。