苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

説教余録

ポンテオ・ピラトのもとに

コロナになってから、ずっと9時と11時の二部制でしてきたのですが、今朝は11時から合同礼拝。余裕があります。去年の秋から、礼拝の中身の理解を深めましょうということで、まず礼拝でもちいている「詩篇歌」(改革長老教会訳)の歌詞を味わうために詩…

正しい聖書解釈のための3つの心得ー文化・歴史相対主義の問題

1.女性の短髪の件から読み取られる普遍的規範 ポストモダンの現代は、しきりに「みんな違ってみんないい」と多様性が異常に強調される相対主義の時代である。その風潮の影響を受けて聖書解釈においても、聖書の記述を何でもかんでも当時の文化・歴史現象と…

ローマ12章1,2節の翻訳メモ

ローマ書12章1,2節 新共同訳 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ…

カラスとハト

今度の夕礼拝の説教箇所は創世記8章です。 大洪水が引き始めて、ノアか観測のためにカラスを放ちますがカラスはもどってきてしまいます。次にハトは1羽目はもどり、7日後の2羽目は若々しいオリーブの葉をくわえてもどり、三羽目はもどってきませんでした。 …

「四十日の終わりになって」とは?

創世記8章6節に「四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、烏を放った。」とあります。ここでいう「四十日」とは、いつから数えての四十日なんでしょうね?複数の文書史料を背後にあると想定する説もあり、前々から気になっていたので…

諸邦訳聖書の比較HPを発見   Bible by Bible

先週、たまたま邦訳聖書の比較サイトを発見しました。高橋照男氏によるものです。面識のない方です。ありがたく活用させていただきます。これがリンク http://www.bbbible.com/ <邦訳聖書リスト> 岩波翻訳委員会訳1995・・・岩波書店 新共同訳1987・・・・…

ナルドの香油の出来事の日付

ナルドの香油の出来事 1.ナルドの香油の事件の日付は、マタイ伝26:1-14、マルコ伝14:1-10では過越祭の2日前とあるが、ヨハネ伝12:1-7では過越祭の6日前とある。 2.マリヤが香油を注いだ主イエスのからだの部位はマタイ、マルコでは頭で、ヨハネでは足と…

ぱんだね

明日の説教のために、「ぱんだね」と打つと「パンダね」と出てしまう。ちがうって。パン種。

岩を割って水を出した場所

17:1 イスラエル人の全会衆は、【主】の命により、シンの荒野から旅立ち、旅を重ねて、レフィディムで宿営した。そこには民の飲む水がなかった。 17:2 それで、民はモーセと争い、「私たちに飲む水を下さい」と言った。モーセは彼らに、「あなたがたはなぜ私…

申命記の書かれた時期

20世紀にもっとも急速に発達した人文系の学問は、オリエント考古学であると言われる。それによって、19世紀に自由主義陣営の聖書学で定説とされたある部分はくつがえされることになった。その一例をメモしておく。 34:14 彼らが、【主】の宮に携え入れられた…

エジプト脱出の年代・・・・・前期説と後期説  再掲載プラスアルファ

読者からの質問があったので、再掲載します。最後におまけをつけました。 イスラエルの民がエジプトを脱出した時期については、紀元前15世紀半ばとする早期説と、紀元前13世紀とする後期説とがある。それぞれの説によって、出エジプト記1章に出てくるイスラ…

聖書考古学者ロン・ワイアットとそのグループについて

このHPで、出エジプトルート、ソドムとゴモラについて、ロン・ワイアット(1933−1999)のグループの発見を紹介しました。 ワイアットは、セブンスデーの信徒であり、アマチュアの考古学者でした。英語版のWikipediaによれば、ロン・ワイアットの発見につい…

唯一の神における「われわれ」と「神のかたち」

*「われわれ」について「われわれに似るように、われわれのかたちにおいて、人を造ろう。・・(中略)・・神はこのように、人をご自身のかたちにおいて創造された。・・(後略)」(創世記1:26、27 私訳) 神はこのようにおっしゃって、人間を造りました。注…

キリストこそ義

10月7日説教「義に飢え渇く」の備えのなかで、「義とはなにか」と、ずいぶん考えさせられた。金曜日午前には9割がたできたと思っていた説教を、土曜日午後になって釈義から考え直すという最近は滅多にないことを強いられた。 山上の祝福における「義に飢え渇…

秦氏、秦河勝、太秦

日本古代におけるキリスト教伝来の件が、使徒2章の説教を準備していて、やはり気になったので、少々調べてみたことのメモ。 1. 日本書紀には、応神天皇の14年(4,5世紀)に弓月君に率いられて120県の民が帰化したとある。弓月君は、『新撰姓氏録』(左…

見よ!神のいつくしみと厳しさを

今、教会の祈り会では申命記の律法を順々に学んで25章まで来た。それらの律法の多くは、いわゆる司法的律法と呼ばれるもので、当時のイスラエル社会の中では有効であったが、新約の時代の各民族・各国のキリスト者たちにそのまま有効なものではないとされる…

アガパオーとフィレオーの区別は無意味?

ヨハネ福音書の最終章、主イエスがペテロに再び伝道者としての召しをおあたえになった対話の中で用いられた、「愛する」と訳されるアガパオーとフィレオーということばについてメモしてみる。とりあえず、口語訳本文に加工して書いてみる。 21:15彼らが食事…

「荊冠のキリスト」理解の不十分さ

「キリストの仲保者としての働きを、預言者、祭司、王という三つの職務概念でとらえるという構想はカルヴァンが『綱要』で、初めて使った手法であ 」ると岡田稔師は言っている。ルター派神学では、祭司・王の二職とされ、祭司職のなかに預言職も含めてしまう…

すわって説教をする

新年礼拝の夕べの礼拝では、体調がすぐれず、初めて椅子に腰掛けて説教をしました。目線が会衆と同じくらいになって、なんだか自分としては良い感じで説教ができました。古代教会では説教者は腰掛けて話をし、会衆のほうが立っていたそうです。今と逆です。…

神が人のために皮の衣を

本日の説教は、本来的には、二回の説教に分けるべき箇所だったけれど、アドベント最後の主日なので、一回に詰め込んでしまいました。結果、焦点がぼけたかもしれません。 今回の聖書箇所で胸打たれたのは、「 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮…

裸の恥の意識

今回(12月11日)の説教では取り上げなかったが、裸を恥じるという意識については、アウグスティヌスが『神の国』で詳細に考察している。以下に、その要点を記しておく。 この裸の恥の意識を理解するとき、人間を対神・対人・対被造物という三つの関係で捉え…

「パウロの名による書簡」?

コロサイ教会への手紙は、パウロ獄中書簡のひとつ。岩波の『新約聖書』では学者たちが「パウロの名による書簡」と銘打っているもののひとつである。教会のS兄が笑いながら言った。「こんな学者さんたちの見方からすれば、先生のブログには複数の記者がいると…

「すべてのことを益としてくださる」とは?

「8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定めら…

ピリピ3章8節後半と9節

「3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、 3:9 キ…

いちじくの葉と皮の衣

秋明菊(シュウメイギク) 「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。」創世記3章21節 カインとアベルは、おそらく父母から神へのささげものは動物の血を流すものでなければならないと教わっていたのではないかと、昨日書いた。…

カインとアベルの出来事と創世記の理解

今年の家庭菜園はたくさん収穫がありました。 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、わたしは主によって、ひとりの人を得た」。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。日がた…

平和を壊すもの

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ人への手紙2:3,4) ピリピの教会は熱心で忠実な教会でしたが、パウロにはひとつの心…

浜名湖バイブルキャンプ名物

昨日は浜名湖バイブルキャンプ名物爆賛(爆裂賛美)があった。全身をもって中高生たちが神様に賛美をささげていた。いやー、エネルギーがあまっているねえ。手を上げるのは当たり前だが、ジャンプする、その場で回る、そして、全員が渦になって走り回る。幼…

浜名湖バイブルキャンプ

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、 あなたが設けられた月と星とを見て思います。 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、 人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8篇3,4節 昨日から浜名湖バイブルキャンプの中高生キャ…

場違いな論議

今朝、聖書通読をしていてさしかかったところなのだが、福音書に記されている不思議な現象がある。それは、主イエスがご自身が受難について弟子たちに予告すると、彼らは決まって、彼らのうち誰が一番偉いのかということを論じ始めるということである。マル…