苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

裁判員制度

メモ9 死刑制度の是非 その2

ローマ書13章は、神が剣の権能を上に立つ権威に授けていると述べている以上、死刑を容認していることは認めざるを得ないと思う(他の解釈の可能性があると思われる読者はぜひコメントをください)。では、これを時代・文化を超えた普遍的原理として積極的に述…

メモ8 死刑制度の是非

「裁判員制度を聖書で考える」という枠からやや外れるかもしれないが、やはり裁判員となった場合、非常に難しい問題であるので、ここで取り上げておきたい。国際的には死刑制度にかんする廃止の流れが強いという事実や、死刑には犯罪抑止力があるかないか、…

メモ7 裁判員制度の欠陥

詩篇では神のことを、「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。」(詩篇68:5)と呼ぶ。また、出エジプト記には次のようにある。「あなたがたの神、【主】は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、…

メモ6 応報刑か、教育刑か

司法による刑罰には応報刑という考え方と教育刑という考え方がある。意味は読んで字の如しであるが、一応説明すれば、罪に応じて報いとしての罰を与えるというのが応報刑であり、今後、罪を繰り返さぬように教育として罰を与えるというのが教育刑である。 旧…

メモ5 裁判員の抵抗感

制度は発足したが、自らが裁判員となって、被告の有罪・無罪を判断し、量刑をするということに、非常な抵抗感を覚える人々も相当数いることは容易に想像できる。特に自分が参加した裁判によって、一人の人が死刑にされる場合、自分が人を殺したことになると考…

メモ4 個人生活と公的なことと

主イエスと同じように使徒パウロも、一方で「愛は寛容である」と赦すことのたいせつさを説きつつ、正しいさばきについて説いている。教会における戒規については1コリント5章、6章を参照されたい。ではパウロはこの世の法廷についてはなにを教えているだろう…

メモ3 正しいさばき

「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)この主イエスの山上の説教の断片を根拠にして、裁判員になることに躊躇を覚えたり、辞退するキリスト者がいるかもしれない。しかし、主イエスは一切の「さばき」という行為を否定していらっし…

メモ2 国民の代行者としての裁判官

国家の任務とはなにか?ローマ書13章によれば、国家は、国民の宗教生活・家庭生活・仕事がまともに営まれるための外的条件を、暴力装置による秩序維持と徴税・富の再分配によって維持することをその任務としている。司法は暴力装置による秩序維持という機能の…

メモ1 国家とその役割

裁判員制度発足後、初の公判が現在進行中である。ローマ・カトリック教会は、政教分離原則に反する可能性が高いとして聖職者たちに裁判員になることを辞退するように勧告し、一般信徒に対しては、司祭に相談してよいと述べ、特にカトリックの見解としては死刑…