苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神を知る

幼稚舎あいか新園舎落成式で

近所の幼稚舎が新園舎を建てたので、その感謝礼拝に出かけて紙芝居をしてきました。ザアカイさんのお話です。 イントロで、針の穴とラクダの絵を見せて「この動物をおうちで飼っている人はいますか?」と聞いたら、一人の女の子が「はーい」と手を挙げました…

八木重吉さんの詩    桃子よ 

クリスチャンの詩人、八木重吉の詩を載せておきます。父なる神の、私たちに対する愛を思わせてくれます。 桃子よ ももこよ おまえがぐずってしかたがないとき わたしはおまえにげんこつをくれる だが 桃子 お父さんの命が要るときがあったら いつでもおまえ…

「雨ニモ負ケズ」と讃美歌121番

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰…

登別で聖会

おとといと昨日、登別温泉で北海道宣教区で聖会がありました。今回は私が担当で、3回のお話をアブラハムの信仰の生涯から学びました。彼に対する主のお取り扱いからは、何度味わっても、多くのことを教えられます。自分のキリスト者としての歩みに重ね合わせ…

暗がりの中に光を見た

暗がりの中を歩いていた若い日に出会った光

生ける人格である神

創造主である神様は、生ける人格であり、私たちをご自分に似たものとして造ってくださいました。だから、私たちは啓示のことばである聖書に耳を傾け、祈ることをとおして、神と人格的な交わりをもつことができます。私たちは神様に似せて造られた存在として…

諸契約の成就者キリスト

今日は木曜日なので、北海道聖書学院にクラスのために出かけました。二つ担当していて、一つはキリスト救済論というクラスで、もう一つは聖霊論というクラスです。 キリスト救済論というクラスでは、イエス・キリストがどういうお方なのか、イエス・キリスト…

映画「沈黙」

先に遠藤周作『沈黙』については小畑進先生の文章を紹介しましたが、今回のスコセッシ監督の映画『沈黙』について、キリスト者が考えるべき聖書的な感想をようやく見つけました。リンク先をぜひお読みください。http://www.logos-ministries.org/blog/?p=7852

小畑進先生の「遠藤周作『沈黙』論」

スコセッシの映画「沈黙」が封切りされたそうですね。遠藤周作『沈黙』に対して、聖書に啓示されたキリストをはっきりと示し、ほんものの聖書に立つキリストとキリスト教信仰とは、こういうものなのだ、と若い日に覚悟させてくれたのが、小畑進先生の『沈黙…

再入門のまなび

本日午前中は、教会の姉妹と家内と一緒に信仰告白の順序で、信仰生活のてほどきの学びのスタート。もう十年も前に、ある事情から緊急で洗礼を受けたけれど、ちゃんと学ぶ機会を得ないままだったということで、改めて学びなおしましょうということです。いわ…

藤本満『聖書信仰』を読み終えて・・・ポストモダンの効能と使用上の注意

本書は「聖書信仰」について、<宗教改革、17世紀プロテスタント正統主義、経験主義、合理主義とプリンストン神学、ファンダメンタリズム、戦前日本における聖書信仰、アメリカの新福音主義、第二世代のエリクソンとピノック、シカゴ宣言、聖書信仰を『生き…

非キリスト者の葬に教会が携わることについて  <追記あり>

以前から、教会の葬儀について、また教会墓地使用規定について、考えるところがあったので、その根本にかかわる聖書からの考え方を、少々ここにメモをしておきたいと思います。 ある人たちは、キリスト教会が非キリスト者の葬にかかわることは世との妥協であ…

摂理と出会い

今日は北海道宣教区の牧師・牧師夫人のつどいがあって、札幌の隣の町まで出かけてきました。たのしい集いでした。 帰り道、F先生が運転する車に乗せていただいたのですが、苫小牧インターでおりそこねて、次の白老インターまで行き、もどってくるのに40分…

北海道聖書学院最初の授業

今日は北海道聖書学院で最初の授業でした。 徒歩5分のバス停で高速バスに乗って、1時間15分くらいで最寄りのバス停に到着。15分歩けば学院です。便利です。「そなえたもう、主の道を踏みて行かん、一筋に。」と歌いながらあるきました。 到着したら、…

召された本筋にかなう交わり

What the pastors!! のバックナンバーで「召された本筋にかなう交わりを作りなさい」という先輩牧師のことばが紹介されていました。同盟教団の信州宣教区の牧師会では、ここ数年、牧会書簡(テモテへの手紙、テトスへの手紙)を学んでいます。担当者が、一応…

SYME軽井沢

おととい、12月4日、娘が軽井沢SYMEを卒業しました。一日13時間英語を使って生活、聖書勉強をする寄宿学校(8ヶ月プラスアルファ)です。英語力が伸びたことはもちろんですが、それにもまさって、主の深いお取り扱いを受けて、卒業スピーチで明確にJesus is my…

メモ:贖罪と神の民の契約

キリストにある救いを、ルター以来、キリストの十字架の犠牲のゆえに神の前に罪赦されることということが強調されて来た、その反動であろうか、他方で、キリストの贖罪が軽んじられて、救いとは神とともにあることのみ強調される傾向がある。だが、両者は密…

三つの次元

先日、美的段階、倫理的段階、宗教的段階という、キルケゴールにおける実存の三段階説というのを少しばかり書きました。似たことをパスカルは、身体のordre、精神のordre、愛(知恵)のordreということばで表現しています。ordreはたいてい「秩序」と訳され…

キリストの愛の愚かさにしたがって:後藤健二さん

http://ameblo.jp/pastorswife/entry-11985874886.html 上記リンク先の、金沢市の牧師夫人のブログの文章に深く教えられました。私なりにまとめてみますと、下記のとおり。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 後藤健二さんの行動について「非常識だ」という非難をする人々…

神が存在するならなぜ?

映画「神は死んだのか」の三回目のプレゼンで青年は言います。 「無神論者は、『もし神が全能かつ正義であるならば、どうしてこの世には多くの罪が満ちているのか?神が全能者であるならば、罪を無くすことができるはずではないか』と主張します。 この問い…

映画『神は死んだのか』

妻といっしょに、佐久アムシネマに『神は死んだのか』という映画を見に行って来ました。全米でずいぶんのヒットだそうです。 主人公の大学1年生、無神論者の教授、主人公の恋人、件の教授のクリスチャン妻、件の教授のクラスの中国人同級生、大学の食堂で働…

自然ではなく、被造物

「自然」ということばは、「おのずからしかり」と読み下すことができるように、誰かがどうかしたのでなく、おのずからそのような状態にあるという意味である。これはラテン語naturaの翻訳語として採用され、naturaはギリシャ語のphysisの訳語である。大辞林…

主イエスが十字架にかかられた年代と日時   追記あり

今週は受難週です。ちなんで、主イエスが十字架にかけられた年代、日時について、少しメモしておきます。 1 主イエスが十字架につけられた時刻 聖書には、主イエスが十字架にかかられた時刻について記録があります。 「彼らがイエスを十字架につけたのは、…

オリエント考古学と聖書のこと

このところ、「オリエントの中の旧約史」として、メソポタミアやエジプトの歴史と旧約聖書の歴史の接触点に注目して聖書を読み直して説教の準備をしています。なかなか面白いです。 19世紀、考古学未発達の時代のドイツの聖書学は王国時代より前の聖書の記述…

The Life of Jesus Christ New Full Movie 2013

KGK関西地区春期学校 「愛を尽くした贅沢和解」

今週火曜日から今日まで、KGK関西地区の春期学校にお話をしに行ってきました。今回のテーマは「愛を尽くした贅沢和解」という缶コーヒーの宣伝みたいなのでした。神様、自己、隣人、被造物との和解ということです。 大学生相手なので、いつもとちがって、少…

風も海も従わせる主に感謝

「緊急の祈りの要請」を2月16日にいたしました。神様が聞いてくださって、今週半ばにふたたび太平洋側を襲おうとしていた雪雲を、遠くへおしやってくださいました。感謝。 4:35さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われ…

水について

本日午後2時から、福島第一原発4号機の使用済み核燃料搬出・移送作業がはじまるそうです。使用済みというから、もうカスみたいなもので、たいして放射能など出ることもないのかと思ったら、とんでもない。冷却の程度に相当左右されるものの膨大な放射能を放…

雲に閉ざされた橋

きょうは午後、小淵沢の家庭集会の往復にある谷越えの長い橋は真っ白い霧というか雲の中でした。橋の向こうが見えません。そろりそろりと橋に入り、バックミラーで振り返れば、後ろも真っ白、なにも見えません。 「もし、この橋が途中で切れていたらおっこっ…

真理はあなたがたを元気にする!

鴻巣福音自由教会青年会のご奉仕で、埼玉県の嵐山にある施設に昨日午後から今日のお昼まで出かけてきました。いろいろ難しいテーマで悩みましたが、最後は、「真理はあなたがたを元気にする!」と信じて奉仕してきました。 「影から本体へ(旧約の教会から新…