新改訳聖書
大月湖夜明け 22日にヨハネの手紙第一1:2をとりあげて、御子イエスを意味する「永遠のいのち」が「御父とともにあ」ると訳されていることが奇妙であることを指摘した。というのは、「とともにwith」と訳されることばはprosという前置詞で、通常「〜に(向かっ…
新改訳聖書第三版の1章2節は次のようになっている。 「──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──」 この翻訳でずっと前…
昨年11月下旬から長男と玉川直重さんの独習テキストを用いてコイネーギリシャ語の初等文法を勉強してきて、やっと文法篇が終わって、昨夜から後半のヨハネの手紙第一の講読にはいった。諸訳で次のようになっていて大差ない。 新改訳「初めからあったもの、私…
クリスマスにちなんで、昨日に引き続き、マリヤへの受胎告知の場面の翻訳上の疑問の二点目である。ルカ1:37節の訳文については四つの邦訳聖書の間にはさして大きな違いはない。 新改訳(2,3版)「神にとって不可能なことは一つもありません。」 口語訳 「…
新改訳聖書でアドベントのマリヤへの受胎告知の箇所を見ていたら、これはいかがなものかと思われる翻訳に二点気づいた。第一点は、ルカ1:34「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」である。この翻訳のニュアンスでは…
新改訳の使徒15:38についてメモをする。青年マルコはバルナバ、パウロとともに出かけた第一回伝道旅行の途中で伝道の任務をほっぽり出してエルサレムに帰った。第二回伝道旅行に出かけるにあたって、バルナバはそんなマルコをもう一度同行させようとする。し…
<新改訳>「律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。』」(使徒13:15) 翻訳上の問題を見つ…
親しくさせていただいている野沢福音教会の小寺牧師と三度目の新改訳本文の検討をした。今回、小寺牧師が取り上げたのは、ピリピ書1章1節である。 ピリピ書1章1節は「 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあ…
( yutorieさん のオリジナルリース。すてきでしょう。) 『なんで神様は人間が小さな声で話していると怒り出すのだろう?』30年ほど前、教会に通い始めて、新改訳聖書を読んで異様な感じを受けた。問題は「つぶやく」という訳語であった。新改訳聖書では、…
一昨晩、近くのK牧師といっしょに新改訳聖書の聖書翻訳について話す機会があった。新しい訳業が始まるということなので、日ごろ説教者として聖書釈義をしてきて、気になるところを出し合おうということで、勉強会を始めたのである。K牧師が出された話題の…
ナツユキソウ 創世記1:27 口語訳> 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。新共同訳> 神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。文語訳> 神其像の如くに人…
けさ、小著『神を愛するための神学講座』の千葉の読者からご質問をいただいた。「キリストが人性をとられたのはいつからなのか?」という問いである。二つの考え方がありえて、一つは処女マリヤのうちに宿られたその時以降であるという見かたであり、もう一…
ちょっと久しぶりに新改訳について気になるところを取り上げたい。マタイ福音書16章26節である。 文語訳> 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又またその生命の代りに何を與へんや。口語訳> たとい人が全世界をもうけても、自分の命を…
ローマ書12章2節 <新改訳>「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 ローマ書は11章までは教理…
ローマ12章1節 <新改訳> そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 「霊的な…
Ⅱペテロ1章1節の翻訳について比較してみよう。 文語訳 我らの神および救主イエス・キリスト 口語訳 わたしたちの神と救主イエス・キリスト 塚本訳 我らの神と救い主イエス・キリスト 前田訳 われらの神また救い主イエス・キリスト 新共同 わたしたちの神と救…
以前にもこのブログで一度とりあげたことがあるのだが、新改訳聖書のなかで気になっている個所のひとつが、第一コリント8章2節である。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」とあ…
(イエスは)また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」(新改訳2:27,28) 黒崎新約註解の六邦訳付きでは、ひとつだけが他の訳とちがっていると、たいへん目立つ…
『聖書翻訳について』というブログを見つけた。筆者はyoshihirano氏という聖書学者ではないと自称する人。氏は、口語訳、新改訳、新共同訳、NIV、NKJV、TEV、KJV、NASB、岩波書店訳、田川訳などを比較して、それぞれの翻訳についての感想を淡々と述べている…
<日本語では英語とちがって主語である代名詞が省略される場合が多いが、それはギリシャ語でも同じである。ただギリシャ語の場合、代名詞を省略しても動詞の形が主語の人称と数とによって異なっているので、日本語のように主語があいまいになって取り違える…
26日から新改訳聖書の翻訳についてメモしているが、こういう作業において改めて便利だなあと実感しているのが、WEB版「黒崎幸吉新約註解 6邦訳併記付き」です。http://stonepillow.dee.cc/index.html
福音派で新しい聖書翻訳事業がスタートするそうである。筆者は語学に決して堪能ではないけれど、一応聖書言語を学ぶ機会に恵まれて、牧師として聖書に取り組んで毎週説教準備をしてきて、気になるところがやはりあるものである。それは、きっと筆者だけでは…
新改訳聖書にかんして、筆者が「この訳語なんとかしてくれ!」といつも思わせられるのは、「うなじがこわい」という訳語である。「まんじゅうがこわい」にならって、「うなぎがこわい」というのではない。たとえば、出エジプト32:9「主はまた、モーセに仰せ…
新改訳でこれはどうかな?と思うところとして、黙示録1章4節の「七つの御霊」がある。 新改訳 「ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から」 新改訳はプネウマを文脈に応…
(きょうは妻と野辺山の樹氷の林をぬけて、川上村の家庭集会に出かけました。) 新改訳 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」 口語訳 「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負…