苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

思い出

幼稚園の担任の先生から電話

千鳥幼稚園時代の担任のO先生からひさしぶりのおでんわがありました。キリスト教会付属の幼稚園だけれど、卒園生で牧師になったのはしゅうちゃんだけなので、貴重なのだそうです。電話のなかで、「幼稚園のクリスマス会で、『幸福の王子』の劇をしたことがあ…

近刊『私は山に向かって目を上げる -信州南佐久における教会開拓の記録-』

昨日、私は満65歳になりました。神様が、この地上であと何日、何年歩みなさいとおっしゃっているのかはわかりませんが、いつ主が来られてもよいように、福音のために一日一日生きて行ければなあと願っております。 今、南佐久郡開拓伝道の記録の本を作ってい…

謹賀新年

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。皆様の上に、神様の祝福が豊かにある2023年でありますように。 世界では戦争と戦争の噂の一年でしたが、昨年の身辺の出来事を振り返ると、苫小牧福音教会では、春に若い二人が洗礼を受け兄…

元小海町町長、黒澤榮太郎氏ご逝去

小海町元町長、黒澤榮太郎さんの訃報が入りました。南佐久郡小海で開拓して7年目の秋に会堂を得たのですが、その会堂用地取得の時には、お世話になりました。分譲の条件に「住宅にかぎる」とあったので、礼拝堂兼牧師宅を建てることは可能かどうか、役場に聞…

父の回心のこと

苫小牧は今朝17度。久々に晴れたので、散歩に出かけることができました。一時間ほどぐるぐる回って福音通信を配り、いい汗かいたなという感じ。 歩いた地域は矢代町という国道6号沿いの地域です。また一つお寺を見つけました。陽願寺といいます。調べたら…

大先輩からの教え

朝の通信配布を終わって帰って、朝ご飯を食べていたら大先輩のY先生から、ほんとに久ぶりの電話。むかし、靖国問題特別委員会にいたとき、よく長電話をいただきました。先生は83歳だとか、私も64歳。「水草先生は電話くれないから、みずくさいと言って悪…

北海道上陸記念日

2016年3月31日は、私たちの北海道上陸記念日。3月30日、小海町を立ちました。朝から教会の兄弟姉妹や町と村々からお世話になった方たちが来て、見送ってくださいました。そして、茨城県大洗まで車で走りました。友人の山口陽一先生が壮行会だと見送りに来て…

北海道宣教区聖会 朝岡勝先生

本日、午後と夕べに北海道宣教区聖会に朝岡勝先生をお迎えして、黙示録22章からメッセージをいただきました。オンラインの聖会で、苫小牧ではyoutubeで参加しました。 目を閉じて耳を澄ましていると、もう40年前に土浦めぐみ教会の礼拝堂で聴いた父上の朝岡…

故郷の花見

苫小牧で桜がさくのはまだ一か月ほど先なので、幼い日に過ごした神戸市の須磨寺町の桜の風景写真を集めてみました。小学校4年生まで住んでいたのは、神戸市の須磨寺町3丁目16番地でした。桜の名所で、目の前にある大池の周囲が桜並木になっていました。春…

真空飛び膝蹴り→宇宙飛び膝蹴り

「キックの鬼」沢村忠さんが亡くなったと、今朝のニュースで見ました。私が小学校高学年のころ、キックボクシングがブームで、沢村忠さんは突出したヒーローで、その反省を描いたアニメまで放映されていました。沢村さんの必殺技に「真空飛び膝蹴り」という…

川瀬一馬校註『方丈記』『徒然草』『花伝書』

高校1年生の冬休みだったか、川瀬一馬校註『方丈記』を通読して、国文学者になるのもいいなあ、などと思ったものです。川瀬一馬先生の経歴に東京高等師範とあったのが、後に進学先をきめるきっかけとなりました。 川瀬一馬先生は小学生時代に両親を失い、卒…

ブレーズ・パスカル『定本パンセ』(松浪信三郎訳・註)

「君は、寄らば斬るぞ、ですね。卒論にするには、とりあえず、この著者の言っていることはすべて正しいはずだと思える対象を見つけるほうが、実りある学びができますよ。」と飯塚勝久先生がおっしゃいました。当時、哲学専攻に移った私は毎週一回、先生の研…

小畑進『キリスト教慶弔学事典(婚葬)』

小畑進『キリスト教慶弔学事典(婚葬)』、背が赤でなく緑の「同名の書(冠祭)」があります。いのちのことば社。単なるハウツー本でなく、死、結婚、年中行事、人生の通過儀礼のひとつひとつについて、自在に古今東西の哲学・宗教・文学思想の深みから説き…

ザリガニの思い出

30年も前、東京練馬の教会で牧師をしていたころ、近所でつかまえたザリガニ2匹を、アルマイトの金だらいで飼っていたことがあります。雄は、餌をジャム瓶の蓋に乗せてやると、大きな爪でひっくり返してしまうので星一徹と命名しました。(奥さんのは無名で…

前任地から記念文集が届く

きょう、前任地、長野県にある小海キリスト教会から、25周年記念誌が届きました。たくさんの写真が掲載されていて、開拓当初から私たちが去った3年前のころ、私たちが小海を去った後の洗礼風景、子どもたち、兄弟姉妹の楽し気なようす、そして昨年11月…

神学生たちの思い出

今日は安息年研修で来ているM牧師と朝は教会のトイレにペーパータオルフォルダー3個の取り付け作業をしました。お昼、家内が作ってくれたお弁当を食べたあとは、卓球をやりました。私が2連勝したあと、M牧師2連勝。前半スマッシュがよく決まったのですが、後…

種をまき続けるなら

(前任地、長野県南佐久郡小海町の小海キリスト教会が25周年記念文集をつくるそうで、そのための寄稿を昨年秋に求められていたのを忘れていて、慌てて今日書きました。そういえば、5年ごとに文集を作っていました。) 小海町馬流元町の借家で集会を始めて、1…

イチローが走っている山

NTT西日本のCMでイチロー選手が走っている山は、私の故郷、神戸六甲山系の高取山に見えます。たぶんそうです。この山の南山麓にあった長田高校の山岳部の友人はこの山に「高ラン」と称して駆け上っていました。この北山麓には妙法寺小学校がありました。そう…

悲しみと喜び

ずいぶん前に、たしか植物学に通じた加藤正義という方の文章で、故安藤仲市牧師にかんする印象深い思い出を読んだことがあります。ある日の午後、加藤さんが後ろに二人の子どもを乗せて世田谷で車を走らせていたら、子どもが「あ、安藤先生だ!」と叫んだそ…

博多の大濠公園訪問

九州佐賀でのKGK春季学校のご奉仕を終わって、帰り道、福岡博多の大濠公園に立ち寄りました。私が育ったのは神戸ですが、母の実家がこの公園の近所にあって、小学一年生のころ来たことがあるんです。訪問は、五十年ぶりのことです。桜が満開で、よい陽気にさ…

幼稚園時代の先生からのたより

久々に手に取った万年筆で幼稚園時代の先生に手紙を書いたら、お返事をいただきました。私は神戸市須磨区にあった日本基督教団須磨教会付属千鳥幼稚園のなでしこ組のときの担任の先生で、まもなく77歳を迎えられるそうです。 明るくて筋のとおった先生でいら…

「あなたはどこにいるのか?」

次の主の日「あなたはどこにいるのか?」という題で、創世記3章から夕礼拝の説教をする予定です。このことばを読むとかならず思い出すのですが、説教にはふさわしくないのでお話したくてもできないことがあります。 学生時代にキルケゴールを教えてくださっ…

拾得物

小学生のころ、兄はときどき「十円玉拾った」と言って交番に届けては、きれいな十円玉に交換してもらって帰ってきた。ぼくはうらやましくて、いっしょうけんめい探したが犬のウンチしか見つからなかった。そんなもの交番に持っていくわけにも行かないし、新…

朋あり遠方より来る

ふるさとの高校時代の同級生の友人M君とRさんが、連休の中日にはるばる小海線に乗って訪ねてくれた。M君とは13年ぶりであり、Rさんとは高校卒業以来だから35年ぶりということになる。M君は、Rさんたち6人で今回の連休を小淵沢ですごしていて、その合間…

ふるさとの海

(須磨海岸と鉢伏山) 兄と須磨の海岸に出かけた。子どものころ、よく歩いて須磨海岸まで泳ぎに行ったものだった。海の水は子どものころに比べると、格段にきれいになっている。当時は、なりふりかまわぬ高度成長期で海も汚れていた。須磨の海岸から南に向け…

戦争にまつわる記憶

筆者は1958年、昭和でいうと33年生まれの戦後世代である。「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年だから、戦後世代と言わず、高度成長期世代というのかもしれぬ。だが、まだ幼い頃には戦争のにおいが残っていた。(以下通信小海118号から) 小学一年生…

国文学者をめざした頃

筆者が生まれ育ったのは須磨で、小学生4年生までは平家ゆかりの須磨寺町に住んでいた。須磨寺は真言宗の本山のひとつであったから、かなり広い境内だった。寺の伽藍からかなり離れた場所にあった我が家も地代を寺に納めていたから、本来の境内地はさらに広大…

僕の青春はカエルだった

中学二年生から高校三年生まで、なぜかモリアオガエルを追っかけまわしていた。当時、住んでいた神戸の須磨に禅昌寺という寺があって、境内の幼稚園の小さな池にモリアオガエルが生息していた。中学2年生の春、第二理科部(生物部)だった私と友人のK君とI…