苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮村節

童謡説教 「赤い靴」

「諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。」黙示録21:24

童謡説教 「ぽっぽっぽ はとぽっぽ」

音が外れているのはお愛敬。 おはなしを聞いて、原発マネーを思い出しました。

童謡説教  「うさぎ うさぎ なにみてはねる」

私たちは何見て、はねるのでしょうか。

宮村先生の童謡説教 「さいたさいた」

全体主義の時代、国防色一色に染められた空気のなかで、「赤白黄色、どの花みてもきれいだな」と。

童謡説教 続ぞうさん

童謡説教 ぞうさん

「そうよの神」

童謡説教 メダカの学校

たいせつなことは繰り返す。 「そおっとのぞいてみてごらん」

童謡説教  どんぐりコロコロ

私たちの人生にはときとして「さあたいへん」が起こる。しかし、「どじょうが出てきて、『こんにちは』」とあいさつしてくれる。こんにちはの神。

童謡説教 おたまじゃくしは蛙の子

宮村武夫先生の童謡説教です。「事実を事実とする」「やがての神」

眼鏡としての聖書

宮村先生はたとえの名手である。今回のお話のなかで、へえ!と思ったのは、聖書を眼鏡にたとえられたことである。聖書を眼鏡にたとえるのは珍しくないと思われるだろう。だがおっしゃる内容がチトちがうのだ。 「眼鏡は大事なものです。けれども、眼鏡の緻密…

一度にすべてではなく

神学生たちが「宮村節」と呼んだ宮村先生の十八番(おはこ)のフレーズがいくつかありました。「存在の喜び」については何度もお伝えしましたから、今回は「一度にすべてではなく」について。 神様は、御子イエスによる救いを一度に啓示するのではなくて、旧…

創造からバベルまで・・・Ⅲ「時」と人生

エッサイの株から一つの芽が出、 その根から一つの若枝が生えて実を結び、 その上に主の霊がとどまる。 ・・・・・ おおかみは小羊と共にやどり、 ひょうは子やぎと共に伏し、 子牛、若獅子、肥えたる家畜は共にいて、 小さいわらべに導かれ、 雌牛と熊とは…

童謡説教

(散歩道のかたわらの家のポストがクリスマス準備を始めました。) 今回の小海訪問で、礼拝後の愛餐会で宮村武夫先生が童謡説教をしてくださいました。3年ほど前は私が地域の小学校に読み聞かせボランティアに行くときに伴ってくださって、子どもたちを前に…

マグマに触れる

「火山のおなかの中にはぐつぐつと煮え立つマグマがある。それが噴出して火山弾があちこちに飛んで行って落下し、冷えてかたまって溶岩となる。では、その冷えて固まった岩をそれ自体として分析して満足して、それで火山がわかったと言えるだろうか。いや、…

宮村武夫著作をお求めくださって感謝します

松原湖研修会で宮村武夫著作集の第一巻と第五巻を販売しました。第一巻を35冊、第五巻を27冊、求めていただくことができました。ありがとうございました。下記は、昨年秋、キリスト新聞に掲載された小生による第一巻の紹介文です。 紹介 宮村武夫著作1 『愛…

宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ―「聖書・神学」考』

宮村武夫先生の著作集の第五巻が刷り上り、手元に届いた。今回は聖書と神学にかんする13本の論文が収録されている。たのしみである。とりあえず松谷好明氏の巻頭の文章「歩きながら神学する洞察の人」を読んで、なるほどなるほどとうなずいた。巻頭の松谷氏…

宮村武夫先生からの電話

脳梗塞で入院・リハビリ中の、沖縄の宮村武夫先生からお電話をいただいた。「昨夜はひさしぶりにぐっすり4時間寝ることができたので、きょうは爽快なんです。」とおっしゃって、声だけ聞いているとご病気とは分からないほどで、うれしかった。 リハビリの効果…

宮村武夫著作『愛の業としての説教』

宮村武夫先生の著作第一巻『愛の業としての説教』が出版されました。出版記念会を1月に予定していたところ、先生が脳梗塞で入院なさったという報せが入りました。と同時に、すでにリハビリを意欲的に始めていらっしゃるという報せでした。先生の回復のため…

宮村先生との出会い(その後)

神学校1年生の初冬の早朝。まだ薄暗い朝の光のなかを寮からチャペルまで霜を踏みしめて歩いた。その朝は、おすすめの担当だったので、少々は早めに到着し、祈りながら待っていた。チャペルに朝の光がじょじょに満ちてくる。ジャンバーを着込んだ兄弟姉妹たち…

宮村先生との出会い(その7)

「一度にすべてではなく」 神学生たちの間で、しばしば「宮村節」ということばがささやかれた。すでに申し上げた「存在の喜び」、「人格は手段としてはならない」、「ことばの真実」それから「新しい天と新しい地」などは宮村節の代表格であろう。それぞれに…

宮村先生との出会い(その6)

父の死、そして『存在の喜び』 男子寮では短パンにランニング姿の神学生たちが、うなぎの寝床のような寮の部屋で、ギリシャ語やヘブル語に呻吟する季節になった。夏休み、なるべく看病する母の重荷を代わってやりたいと思って帰省した。最初、父の食道に巣食…

宮村先生との出会い(その5 一部再録)

説教の代読――人格は目的として 奉仕神学生になって、主の日の朝は、青梅キリスト教会小作集会所にTCCの神学生三人と通うことになった。うち二人は青梅キリスト教会出身だった。当時、青梅キリスト教会は隣町の小作に牧師の家をもって、そこで開拓伝道を始…

宮村先生との出会い(その4)

恐れ 神学校では聖書語学をはじめとしてむずかしい学びの生活が始まり、教会では奉仕神学生として教会学校やいろいろ楽しい経験をさせていただいた。多忙ではあったけれども、充実した日々であった。だが私のなかにはひとつの恐れがあった。 神学校に入る前…

宮村先生との出会い(その3)

出会い―――もっとも大切な奉仕 三月下旬、神学校の入学試験に出かけた。朝早くからの試験ということで、いっしょに受験することになった白石剛史兄とともに前日から神学校の寮に泊めていただいた。その夜は緊張のせいか眠気が来ないので、腕立て伏せをしたら…

宮村先生との出会い(その2)

「君は傲慢だ。君のまわりには草も生えない。君のような奴は、ほかに任せられる人がいないから、宮村先生に頼むことにした。」 朝岡先生は怒りのあまり顔が青白くなっておられた。こちらが叱られながらも『先生、心臓大丈夫かなあ』と内心危ぶむほどであった…

宮村先生との出会い

この秋、宮村武夫先生の著作シリーズの第一巻『愛のわざとしての説教』が出版される予定になっています。各巻末尾に、「わたしと宮村先生の出会い」というテーマでの文章を載せていくことになり、第一巻では筆者が担当になりました。その文章をブログに出版…

人格は目的として

私は神学校1年生のとき、宮村武夫先生の仕えている青梅キリスト教会の開拓伝道の群れ小作集会に通うようになった。宮村先生は青梅キリスト教会と小作集会で交互に礼拝説教をなさっていて、先生がいらっしゃらないほうの礼拝では木村執事が宮村先生の説教原稿…

一人と百人、ゼロと一人

米国の留学を終えて帰国した宮村武夫先生の伝道者として初陣の地は埼玉県寄居の伝道所だった。そこで先生は宣教師とともに働いた。 あるとき未信者を相手とする伝道会を開いた。宣教師と手分けして町中にチラシをたくさん配って歩いて、いよいよ当日になった…

みなさんの背後に

妻も宮村武夫先生のはるか遠くを見通すまなざしに感動したひとりである。彼女がTCC神学生のとき、宮村先生のあるクラスを取った学生がとても少なかった。学生たちは内心、先生に申し訳なく感じていたという。そのとき、先生がおっしゃった。「わたしの目…

マンネリを恐れず

私たち現代人は変化を求めたがる。去年より今年、先週より今週、昨日よりも今日、となにか変化がなければいけないのではないかと、ほとんど脅迫されているほどである。たしかに、去年より今年あたらしい工夫をしたいという楽しむ気持ちはよいのだが、それが…