苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古代教父

「神のかたち」であるキリスト    改訂

2011年10月31日JECA北関東地区牧師勉強会 (奥多摩バイブルシャレーにて) *福音主義神学に載せていただいた原稿に若干の手直しをした。脚注は省略されている。用語としての変更の重要ポイントは、本文の趣旨にしたがって、「キリスト論的解明」を「キリスト…

沖縄の宮村先生が千葉市川に

小海、新緑 沖縄の宮村武夫先生が、千葉県市川市に引っ越して来られるとのことで、メールをくださった。出発は5月24日とのこと。 先生が東京を立って沖縄に行かれたとき、「そういえば宮村先生は沖縄のことを時折、熱く話しておられたなあ」と思い出したもの…

古代教会史ノート19 アウグスティヌス(その3)「神の国」 ・・・古代教会史最終回

4.歴史哲学・歴史神学:ローマ略奪と『神の国De civitate dei』(1) 執筆の背景 408年、ローマはゴート人に包囲された。アウグスティヌスはその報告を受けて、飢餓と疫病のために、ローマでは埋葬されない死体がごろごろし、人肉を食べるほどに窮している…

古代教会史ノート18 アウグスティヌス(その2)『ペラギウス論争」

ベッテンソンpp92-102 1.ペラギウス (1)経歴 ペラギウス(360頃-420頃)ブリトン人 (古代イギリス人)の修道士、平信徒。キリスト教徒の家庭に生まれる。前半生は不明。380年頃ローマに法律を学び、成人してから洗礼を受け、聖書研究に励み、その徳を修めた…

古代教会史ノート17 ヒッポのアウグスティヌス(その1)「ドナティスト論争」

ヒッポの司教。西方教会最大の教父。恩寵の博士。アフリカ人にして西洋の教師。そして、牧会者。伝記としては、P.ブラウン『アウグスティヌス伝』(出村和彦訳、教文館)が白眉。 1.生涯の概略 アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354-430)は、ヘレニ…

古代教会史ノート15 キリスト論論争と東西の教会

1. 東西の教会 東西の教会は中世初期までの長い時間をかけて分かれていき、1054年に分裂する。文化的な違いがもともとあった。言語についていえば、西方はラテン語を、東方はギリシャ語を話していた。思想的には東方は哲学的で、西方は法的である。 東西で…

古代教会史ノート7 反グノーシス教師たち

(ヒマラヤ杉の実、yutorieさんからいただきました。) 使徒教父文書(イグナティオス、ディダケー、ヘルマスの牧者など)や二世紀後半の護教家たちは、ある特定の問題をめぐって書かれており、キリスト教教理全体は語っていない。だが、2世紀末頃からマルキ…

古代教会史ノート6 2世紀の護教家たち

1.教父とは 「古代教会の著者のうち、教会によって使徒的信仰の代弁者として承認されている者の呼称。・・・レランのヴィンケンティウスは、その著434年において<公教会の信仰と交わりのうちに、清らかに、智恵深く、また変わりなく生き、教え、またとどま…

賛美論1 音楽を偶像化してはならない

この際、賛美歌について聖書から教えられる所をメモしていきたい。多くは、筆者がかつて書いた「牧会者から見た教会音楽」と2009年春の小海キリスト教会修養会での話からの抜粋である。 「主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ…

ベルベル人アウグスティヌス

アウグスティヌスは、北西アフリカ、ヌミディアのタガステに生まれた。今ではアルジェリアにあたる。この地には、ローマ帝国の手がおよぶ前からベルベル人が住んでおり、父はローマ人だが母モニカはベルベル人だった。ベルベル人というのは、コーカソイド系…

アウグスティヌス

昨日、神学校で、前回につづきアウグスティヌスの話をした。若き日の雄弁術教師としての出世のもくろみ、十六歳にして同棲し十七歳にして子を得たという(かならずしも当時にあっては珍しくなかったとはいえ)放蕩的生活、母モニカの古臭いキリスト教信仰へ…