苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

パスカル

ブレーズ・パスカル『定本パンセ』(松浪信三郎訳・註)

「君は、寄らば斬るぞ、ですね。卒論にするには、とりあえず、この著者の言っていることはすべて正しいはずだと思える対象を見つけるほうが、実りある学びができますよ。」と飯塚勝久先生がおっしゃいました。当時、哲学専攻に移った私は毎週一回、先生の研…

「考える葦」

「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体はなにも武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれを押し潰すときにも、人間…

パスカル・・・被造物の多様な秩序ordreを

*今回書くことは、あれこれの本に書かれている「パスカルにかんする常識」ではなく、筆者なりの理解です。〜〜〜〜〜〜〜 おなかの調子が悪いので医者にかかったら、「私は呼吸器の専門でして、消化器のほうはどうも・・・。」と言われた経験があるだろう。…

パスカル紹介

(散歩していて、「気のせいか、今年はオミナエシが目に付くわ」と家内がつぶやきました。) パスカルを読みたいという友人がいるので、少しばかり昔書いたものをここに二三回載せるつもりである。 筆者は、高校生のころ「源氏物語でも研究しながら一生食べ…

デカルトの神

「わたしはデカルトをゆるすことができない。かれは、その哲学全体の中で、できれば神なんかはなしですませたいと、思ったことだろう。しかし、世界に動きを与えるために神に指でひとはじきしてもらわずにはいられなかった。そのあとでは、もう神なんかに用…

でしかない屋

「秩序−−−自然は、その真理の一つ一つがおのおのそれ自体で真理であるようにした。わたしたちは、人工的に、それらの真理の一部を、他のものの中へ押し込めようとしている。だが、これは自然にそむくことである。ものそれぞれに、自分の場所があるのだ。」B…

知のありかた

現代社会は、専門家を重んじる。専門分化というのは、デカルト以来、近代的知性の特徴である。デカルトは、『方法序説』で、複雑な問題もいくつかに区分して、それぞれの部分を解決して、あとで総合すればかんたんに解けるのだと教えた。たしかに、一人で複…

パルカル「考える葦」についての誤解2

「人間の偉大は、人間が自己の悲惨なことを知っている点において、偉大である。樹木は自己の悲惨なことは知らない。それゆえ、自己の悲惨を知るのは悲惨なことであるが、しかし人間が悲惨であることを知っているのは偉大なことである。」(L114、B397) パス…

パスカル 「考える葦」についての誤解1

「人間は自然のうちでも最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間…

パスカル「沈黙した宇宙空間の一隅に」

「人間の盲目と悲惨を見、沈黙した宇宙を見つめるとき、人間が何の光ももたずただ独り放置され、いわば宇宙のこの一隅に迷い込んだように、誰が自分をそこに置いたのか、自分は何をしにそこへ来たのか、死ぬとどうなるかをも知らず、あらゆる認識を不可能に…

パスカル「無限の空間の永遠の沈黙」

「無限の空間の永遠の沈黙が私に怖れを抱かせる」(L201、B98) このことばの背景には、パスカルの時代の宇宙観の変化がある。中世にあっては、プトレマイオス的世界観が支配的であった。その世界観によれば、空間的な位置というものが価値の階段的な順位と一…

知と愛と

「神を知ることと神を愛することとの間には、なんと大きなへだたりがあることだろうか」と嘆いたのは、パスカルだった。筆者も小さな経験ながら、若い日に似た体験をしたことである。以来、神を知る知識が独り歩きせず、愛という実を結ぶにはどのようなこと…