苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

最後の教団理事会を終えて・・・「強固でなく、強靭な革袋を」

昨日は私にとっては最後の教団理事会でした。20年間のご奉仕で、定年となりました。若い私が理事会に入ったのは、理事長が吉持牧師から赤江牧師に移った春でした。そのころ教団は地域教会の自律と、理事会の役割の境界線をめぐる難題を抱えてある出来事に…

北海道聖書学院卒業式

本日、北海道聖書学院で卒業式で、2名の本科生が卒業し、春からそれぞれ道内の教会に赴任することになります。お一人は女性で、かつて3年生の夏休み前に病を得て、7年7か月の闘病を経て、昨年春に復帰し、残りを1年間学び、卒論を書き上げての卒業でし…

整体師のことばと近代聖書学

Youtuberをしている整体の先生が話していたのですが、ハワイ大学から「すぐに来い。死後間もない人体が手に入った」という知らせがあったので、そんなチャンスはめったにないので出かけて、その死後まもない人体を動かしつつ解剖するのを見て勉強することが…

「教会史における教理」

HBIの3学期は、「教会史における教理」というクラスと、「神を愛するための教理問答」のクラスを担当しました。 前者は普通、「教理史」と名乗るわけですが、そのネーミングだと絶対精神の自己展開みたいな観念的なイメージがあるので、もっと具体的な教会の…

聖書解釈の3側面 実例(その2)

聖書解釈には、状況的、規範的、実存的の3側面に着目することが重要である。創世記1章において状況的という点は、執筆状況を取り上げたが、状況的面で常に重要なのは、文脈ということである。今回はその一例を紹介したい。聖書箇所はマルコ14:1,2の解釈で…

聖書解釈の3側面 実例

今日は北海道聖書学院での2023年度最後のカテキズムの授業だった。対象は信徒コースと聴講生たち3人である。時間配分が今一つうまく行かず、最後に1コマ余ったので、聖書的教理体系をカテキズムで学んだ者として、実際に聖書を読んで行くときに、それ…

「存じ上げません」?

シリーズでもありませんが、気になる妙な日本語。安倍派の塩谷さんは、裏金問題の件で政治倫理審査会に引っ張り出されて、「(裏金問題の経緯については)存じ上げません」と何度も言って、新聞の見出しになっていましたが、なんか変だな、気持ち悪いなあと…

小畑進先生の説教チャート

ameblo.jp リンク先をごらんください。先日投稿したものではありません。

説教に向けての聖書解釈の3つの側面

表題の文章を、「神学ノート」に掲載しておいたので、ご一読ください。 清水武夫先生が神学校で言われたことについて、神学校卒業後、聖書解釈についてずっと考えて来たことです。 リンク先 ameblo.jp

初めてのMRI

今日の午前中は二軒、訪問。お年を召したご夫妻は前回うかがったときよりも、ずいぶん元気になって来られたようすで感謝でした。 午後は、生まれて初めて市立病院にMRI検査を受けてきました。副鼻腔炎手術の準備です。銀行の金庫の扉みたいなのの奥に、巨大…

ライトの聖書解釈法は本質的に間違っている

NPP

1 ライトの新約聖書の読み方 日本長老教会によるN.T.ライトに関するレポートで、ライトの聖書理解の手順が示されている(37ページ)。ライトは、聖書のある概念を理解するには、まず第二神殿期のユダヤ教文献を読むことが必須であるとする。 ①まず第二神殿…

駐車場の雪

おととい駐車場の圧雪を不十分ながら、ざっとすませてお見舞いに出かけたのですが、そのあとまた吹雪いてきてしまって、土曜日にはどうだろうと思って教会にやってくるとビックリ。全面キレイに圧雪されて、縁のほうも、きれいに雪が寄せられているではあり…

お見舞い

昨日は終日北海道聖書学院にいて、帰宅したのは8時を回っていました。今朝、澄川にある病院に、Y姉のお見舞いにうかがうことを思いつつ目がさめて、カーテンを引いてみたら、雪が積もっています。食後、妻といつものように為政者たちのこと、教会の兄弟姉妹…

遅塚忠躬『フランス革命―歴史における劇薬』

遅塚忠躬『フランス革命ー歴史における劇薬』という本を読んだ。何十年ぶりかに読んでみると、よく書けているなあという感想。 「劇薬」というのは、効能がある代わり恐るべき副作用があるという意味である。フランス革命は「自由・博愛・平等」というスロー…

沢山の錠剤は丸飲みにする

長年、幸いなことに薬と縁のない生活をしてきましたが、昨年春、ふと思い立ってエビオス錠という古典的な整腸剤を飲み始めました。製造元はアサヒビールで、中身はビール酵母です。これを一日三回9錠ずつ飲みます。これは薬というよりサプリみたいなもので…

同性間性交について聖書はどう教えているか

過去の記事に再加筆したので、ここに再々掲載する。 1 神は公正を求める LGBTQを容認する神学は、いわゆる「解放の神学」の系譜の中に現れた。「解放の神学」の発端は米国資本によって収奪されていた中南米の貧困層の解放運動のため戦った神父たちの主張で…

東京の雪嵐

月に一度、苫小牧駅朝6時27分に乗って、東京渋谷の幡谷事務所で会議のために上京するのですが、今日は午後雪が降り始めて、夕刻8時に会議を終えてもまだ降っていました。出てみると吹雪です。 会議終えて 外に出たら ブリザード

寝耳に雪

「雪が積もっているわよ。雪かきに行かなくちゃ。」 昨夜の天気予報では「晴れ」だったのに、朝起きたら、雪が15センチほど積もっていました。今年は苫小牧、雪がやや多いようです。

健康診断と卵焼き

年に一度の健康診断に行ってきました。信州小海で伝道していた40歳のときから年に一度の総合検診は欠かさないようにしています。もう25年目ということになります。小海では町のセット検診ということで、佐久総合病院の医師が来てくださって検診を受けまし…

苫小牧は午後雪だった

苫小牧は午後雪だった。「長崎は今日も雨だった」を聞きたくなった。若き日の前川清さんの歌唱。長崎は終戦後まもないころ、父と母が出会った町なんです。 いつでも、こういう貴重映像を視聴できるとは、便利な時代になりました。 www.youtube.com

氷都

札幌は雪の都ですが、苫小牧は雪は少ないけれど氷の都です。夜間の最低気温は札幌より3~5度低いのですが、日中は積もった雪が溶け出す程度まで上がるので、車道も歩道も凍り付いてしまいます。でも、このスパイク長靴を履いていれば大丈夫。ああスパイクが…

「姑息」

ここ数年という感じがするのだが、「姑息な」ということばを、「卑怯な」と同義語のようにして用いている文章をしばしば目にする。「姑息な」というのは本来「間に合わせの」「付け焼刃の」という意味であって、「卑怯な」という意味ではない。でも、十人中…

電話の穴とLANの穴

昨日、聾唖の方との通信のために、自宅にもFAX付き電話を導入しました。(会堂にはあるのですが。)ところが、電話がかからない。「電話回線をつないでください」というのです。ああ、困った、断線しているのかなあ?と思ったら、モデムのLANの穴に差し込ん…

苫小牧も今朝はどっさり雪が積もりましたので、まず駐車場脱出のための雪かき。それから、二人で会堂に出かけて、圧雪と雪かきで、やっとスタートです。とはいえ、20cmから25cmくらいですから、札幌の半分、小樽の三分の一程度ですが、それなりにしんどい。…

ニコデモに語られた福音

今朝は寒波が去ったのか、昨日よりも10度高く、正午で+5℃です。 主の日の説教の準備ができました。ヨハネ伝3章、ニコデモとの問答の箇所です。かつて学校教員で今はリタイアした方が、クリスマスの集会に初めて来られ、先の主の日も続けて出席なさって…

ひめゆり平和記念資料館とアブチラガマ

沖縄を訪れるのは2回目ですが、前回はホテルと会議をする教会堂を往復しただけでした。今回の聖会のプログラムはゆったりしていて、時間的余裕がありました。そこで林先生にお願いして、二日目の午前中、ひめゆり平和祈念資料館とアブチラガマに連れて行っ…

「いまだに」の誤用

ときどき、「今だに・・・・」という文字遣いを見ることがある。「いまだに」を漢字で書くならば「未だに」である。 また、「未」という文字は漢文で再読文字で、「いまだ・・・ず(打消し)」と読むことになっている。つまり、「まだ・・・ではない」という…

あずかる

「あずかる」ということばがある。何か物や金銭を託されることを意味する場合は、「預る」という字を用いる。だが、かかわりを持つという意味の場合は「与る」という文字を用いる。「関与する」という意味である。だが、最近しばしば関りを持つという意味で…

やっぱりタコとイカは賢かった

二十年ほど前、タコがいかに賢いかということを知って面白いなあと思っていました。タコの目の前に、ネジ蓋のついた瓶にいれた好物のカニを入れて見せて、蓋をあけて見せると、タコはすぐに学習して自分であけるのです。また、水槽を並べて片方にタコを飼育…

あいういう

沖縄聖会での三回のアブラハムの生涯に関する説教奉仕が終わりました。また、今日の午前中は読谷聖書教会でのご奉仕がありました。かつて米軍将兵の家として造られたコンクリート住宅を買い取って会堂として用いている教会です。 今回は時間的余裕があり、土…