苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

近畿財務局元職員とナボテ

  大坂日日新聞の掲載された、近畿財務局元職員赤木俊夫さんの手記全文です。クリックすれば大きくなります。

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  この国の首相夫妻が不正を犯し、首相はそれを糊塗する嘘をつき、その嘘を隠すために、財務省佐川理財局長が動き、地方の近畿財務職のまじめな一人の職員に公文書改ざんさせようとした。赤木さんは「私が契約している相手は日本国民です。」と抵抗したが、押し切られて公文書の改竄をしてしまった。赤木さんは良心の呵責と、このまま行けば自分一人が罪をかぶせられて犯罪者にされてしまうという恐怖から、自らいのちを絶った。しかも、大阪地検特捜部はその事実を知っていた。さらに、当時、検察を動かしていた法務省事務次官は、今回官邸が異例の定年延長をさせた黒川氏である。
 その後、首相官邸は、赤木さんに罪を着せて追い詰めて死にいたらしめた佐川理財局長をはじめ6人をことごとく昇進させた。

 私は、旧約聖書のナボテのブドウ園の話を思い出した。あの素朴でまじめで気の毒なナボテのことを。王とイゼベルの策略にはまって、冤罪によって死刑にされてしまったナボテが、近畿財務局元職員の赤木さんと重なってしかたない。第一列王記21章の記事である。

 イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリヤの王アハブの宮殿のそばにあった。アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」ナボテはアハブに言った。「【主】によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」

 アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。 彼の妻イゼベルは彼のもとに入って来て言った。「あなたはどうしてそんなに不きげんで、食事もなさらないのですか。」そこで、アハブは彼女に言った。「私がイズレエル人ナボテに『金を払うからあなたのぶどう畑を譲ってほしい。それとも、あなたが望むなら、その代わりのぶどう畑をやってもよい』と言ったのに、彼は『私のぶどう畑はあなたに譲れません』と答えたからだ。」妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手に入れてあげましょう。」

  彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印で封印し、ナボテの町に住む長老たちとおもだった人々にその手紙を送った。手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、 彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」

  そこで、その町の人々、つまり、その町に住んでいる長老たちとおもだった人々は、イゼベルが彼らに言いつけたとおり、彼女が手紙に書き送ったとおりを行った。彼らは断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせた。そこに、ふたりのよこしまな者が入って来て、彼の前にすわった。よこしまな者たちは民の前で、ナボテが神と王をのろった、と言って証言した。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石打ちにして殺した。こうして、彼らはイゼベルに、「ナボテは石打ちにされて殺された」と言ってよこした。

  しかし、神は黙っておられなかった。

 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような【主】のことばがあった。 「さあ、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。 彼にこう言え。『【主】はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。』また、彼に言え。『【主】はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。』」

  アハブがエリヤに、「あなたはまた、私を見つけたのか。わが敵よ」と言うと、エリヤは答えた。「あなたが裏切って【主】の目の前に悪を行ったので、私は見つけたのだ。今、わたしはあなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、アハブに属する小わっぱも奴隷も、自由の者も、イスラエルで断ち滅ぼし、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。それは、あなたがわたしの怒りを引き起こしたその怒りのため、イスラエルに罪を犯させたためだ。また、イゼベルについても【主】はこう仰せられる。『犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう。』アハブに属する者で、町で死ぬ者は犬どもがこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」

 

 

 

卒園式

 近所の保育園「あいか」の卒園式に出かけてきました。卒園するこどもたちの祝福のお祈りをするためです。健気なこどもたちの姿と、涙する親御さんたちの姿を見ていて、もらい泣きしてしまいました。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

 

飯塚勝久先生

 最近、大学時代、お世話になった飯塚勝久先生の本『ヨーロッパ精神史』を手に入れて、その序文を読んでみて、ああ私は幸運だったなあという思いになった。思想史でもなく哲学史でもなく「精神史」と題されたのは、啓蒙主義に無自覚的に凝り固まってしまった学者たちと異なり、先生はヨーロッパを知るためには、キリスト教神学も視野に入れておかねばならないという観点をもっていらしたからである。

 哲学は、中世においては神学の婢として扱われたことへの反発から、近世・近代・現代になると理性の自律というドグマによって神学からの分離独立を図り、聖書と神学を嫌悪し、そのうち聖書にも神学にも無関心・無知になってしまった。もしそういう啓蒙主義に染まり切った教師のもとで学ばねばならなかったとしたら、大学時代、私はさしたる収穫を得ることのない学びしかできなかったことだろう。

 私がつくことができた飯塚先生は、そのような視野の狭い学者ではなく、フランス哲学を専門とされる方であったが広い視野を持っておられた。先生は若い日にはサルトルを読んでおられ、ライプニッツもご存じで、私がお世話になったころにはジャンセニスムというアウグスティヌス復興主義の研究をなさっていた。それで、ジャンセニスムの深い影響を受けたパスカルを卒論のテーマとして選んで、私は論文を書くことができたのだった。ワープロもパソコンもない時代、万年筆で原稿用紙にひたすらに書いたら膨大な量となってしまった。

 飯塚勝久先生は御存命だとのことなので、私の書いた小さな本を差し上げようと思っている。

 

北海道聖書学院 

 昨日は北海道聖書学院の卒業式で、一昨夕は、卒業生を送る会というのをしました。「贈ることば(送ることば)」では、教師たち4名が順々に話をしたんです。一人目は、舎監としてもっとも神学生たちの身近にあって導いてこられたY先生の話で、すごいなあ、と感動。ところが、二人目O先生、三人目私、そして院長先生の話は、どういうわけか、牧会の苦悩の中でとうとう上から下から出血して、口からおしりからカメラ突っ込まれ、突っ込まれている最中に急患が来て一時間放置されながら、十字架のイエスさまを思った話とか、ストレスがたまって夜中に無意識で起き上がって突っ走って壁に衝突したとかいうすさまじい体験談の披露となって、話している本人も、聞く者たちもみんなでどうゆうわけか、ゲラゲラ笑いながら、これからの伝道者としての覚悟を固めるという変な会となりました。
 きょうは北海道聖書学院の卒業式・修了式でした。本科5名の卒業生、短期信徒コース3名。ある者は京都へ、ある者は苫小牧の近所、ある者は札幌、或る者はニュージーランド、ある者はつくば市へと巣立ってゆきます。
 北海道聖書学院、いいですよ。聖書語学は聖書神学舎仕込みの先生方がきちんと教えてくださいます。ぼくもあんなふうに教わったら、もっと聖書語学得意になったかなあ、なんて羨ましく思ったりして。私は組織神学担当です。私は自分が楽しんでいる方ですが、ほんとうに親身になって、誠実に導いて下さる先生方です。学費安いし。

 

https://www.hbi-wmc.org/%E5%AD%A6%E9%99%A2%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E5%90%84%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%88%86%E9%87%8E%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E7%9B%8A/

ウェストミンスター小教理問答

春からHBIで新規の担当として、カテキズムで聖書的教理の全貌を把握するというクラスを始めることにしました。
 聖書解釈でいつも強調するのは「木を見て森を見ず」になってはいけないということです。語句が意味を獲得するのは、文脈によるからです。ワードスタディに凝ると、連想ゲーム的に勝手解釈をしてしまいがちです。じゃあ、文脈とは何かといえば、まず、当該パラグラフで、次いでもう少し広くとって、次いで、その書全体の構成の中で、次いで、同一記者の諸書の中で、そして聖書全体の中で、ということです。聖書全体を見る方法は契約を軸として歴史的順序で見る方法と、論理的体系に整理してみる方法がありますが、カテキズムのクラスでは、この一番大きな文脈として聖書教理の森全体を論理的順序で見ようということです。
 ではどのカテキズムを用いるか、です。ルターの小教理、カルヴァンジュネーブハイデルベルク、いやウェストミンスター大教理問答、いやむしろ『W告白』の方が網羅的かなどと、いろいろ考えましたが、すっきりとした全貌把握のためにウェストミンスター小教理(Westminster Shorter Catechism)を大きな枠として、不足を補うということにすることにしました。あらためてWSCを味わうと、やはりカテキズムの傑作中の傑作です。私は初めて増永俊雄牧師と面談したときに、この問答書の第一問答を聞かされたのでした。