苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「キリストの真実」か「キリストを信じる信仰か」?

ダビデの日記β」というブログで、pistis christouは「キリストを信じる信仰」という訳が正しいことが丁寧に説明されていますので、ここにリンクを貼っておきます。

 

ダビデの日記β

https://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/33318048.html

https://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/33320596.html

https://blogs.yahoo.co.jp/psalm8934/33322363.html

イチロー選手引退会見


【全編】イチロー選手が引退会見「後悔などあろうはずがない」(2019年3月21日)

いろいろ考えさせられます。後で読むために保存しておきます。

一問一答は以下の通り。

 

(司会者)

(冒頭挨拶)

 

「こんなにいるの? びっくりするわぁ。そうですか。いやぁ、この遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。

 

今日のゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るには(それが)あまりにも長い時間だったので、ここで1つ1つ振り返るのことは難しいということもあって、ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」

 

(質疑応答)( )=質問者

 

■引退を決めた瞬間と誇りを持てた日々

 

――(テレビ朝日・草薙和輝) 現役生活に終止符を打つことを決めたタイミング、その理由は?

 

「タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかねぇ。何日前とはっきりとお伝えできないんですけど、終盤に入ったときです。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったこということもあったんですけども、キャンプ終盤でも結果が出せずにそれ(契約終了、引退)を覆すことができなかった、ということですね」

 

――決断に後悔や思い残したようなことは?

 

「今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います」

 

――(TBS・井上貴博)子供たちに是非メッセージを。

 

「シンプルだなぁ。メッセージかぁ。苦手なのだな、僕が。まぁ、野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける、向かうことができると思うんですね。それが見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。色んなことにトライして、自分に向くか向かないかというより自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」

 

――今思い返して最も印象に残っているシーンは?

 

「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただそれを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたですけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないことでもあると思うんですけども、そのことにそれほど大きな意味はないというか。今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。

 

その点で、例えば分かりやすい、10年(ヒットを)200本続けてきたこととか、MVPをオールスターで獲ったとかは本当に小さなことに過ぎないというふうに思います。

 

今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが……去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」

 

 

――(テレビ東京・鷲見(すみ)玲奈)「イチメーター」のエイミーさんがいた。ずっと応援してくれたファンの存在は?

 

「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像してなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけども、なかなか日本のファンの方の熱量というのは普段感じることが難しいんですね。でも久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本の方というのは表現することが苦手というか、そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるというのと、それを表現したときのその迫力というものはとても今まで想像できなかったことです。ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど。ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。その点でファンの方々の存在なくしては自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思います」

 

「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」(笑い)

 

――(サンスポ・ニワ)イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは?

 

「……。野球のことを愛したことだと思います。これが変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます、僕。大丈夫?」(笑い)

 

――グリフィーが、肩のものを下ろしたときに違う野球が見えて、また楽しくなってくると話していた。そういう瞬間は?

 

プロ野球生活の中ですか? ないですね。これはないです。ただ、子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり……。[行ったり来たりっておかしい? 行ったり行かなかったり? え? 行ったり来たりっていつもいるみたいな感じだね。あれ、どうやって言ったらいいんだ? 1軍に行ったり、2軍に行ったり? そうか、それが正しいか。] そういう状態でやっている野球は結構楽しかったんですよ。で、94年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども、この年まででしたね、楽しかったのは。あとは、その頃から急に番付を上げられちゃって、一気に。それはしんどかったです。

 

やっぱり力以上の評価をされるのというのは、とても苦しいですよね。だから、そこから純粋に楽しいなんていうのは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。ただ、楽しいかっていうと、それはまた違うんですよね。ただ、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと、これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分が、ある時から存在したんですね。でも、これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。たとえば草野球ですよね。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思っているので、これからはそんな野球をやってみたいなという思いですね。おかしなことを言っています、僕? 大丈夫?」(笑い)

 

――(日本テレビ徳島えりか)開幕シリーズを「大きなギフト」と言っていたが、私たちが大きなギフトをもらったような気でいる……。

 

「そんなアナウンサーっぽいことは言わないでくださいよ」(笑)

 

――これからどんなギフトを私たちにくれるのか?

 

「ないですよ、そんなの、無茶言わないでくださいよ。(笑)でもこれ本当に大きなギフトで。去年、3月頭にマリナーズからオファーをいただいてからの、今日までの流れがあるんですけども、あそこで終わってても全然おかしくないですから。去年の春で終わっていても。まったくおかしくない状況でしたから。今この状況は信じられないですよ。あのとき考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所が、神戸の球場なんですけども、そこで寒い時期に練習するのでへこむんですよね。心が折れるんですよ。でも、そんなときもいつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなとあの当時は想像していたので、夢みたいですよ、こんなの。これも大きなギフトですよ、僕にとっては。質問に答えてないですけど、僕からのギフトなんかないです」

 

――涙がなく、むしろ笑顔が多いように見えたのは、この開幕シリーズが楽しかったということか?

 

「これも純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いことなので、そうやって1打席1打席立つことは簡単ではないんですね。だから、すごく疲れました。やはり1本ヒットを打ちたかったし。応えたいって当然ですよね、それは。僕にも感情がないって思っている人はいるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。だから、結果残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、それは叶わずで。それでもあんな風に(ファンが)球場に残ってくれて。まぁ、そうしないですけど、「死んでもいいという気持ち」はこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をするときってこういうときだろうなって思います」

 

■日本に戻ってプレイができない理由は言えない

 

――(朝日新聞・山下)常々、最低50歳まで現役ということをいってきたが、日本に戻ってもう1度プロ野球でプレーするという選択肢はなかったのか?

 

「なかったですね」

 

――どうしてか?

 

「それはここで言えないなぁ。(笑い) ただねぇ50まで、いや最低50までって本当に思ってたし。でもそれは叶わずで。『有言不実行の男』になってしまったわけですけど、でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもあります。だから、言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思っています」

 

 

――(共同通信・小西)これまで膨大な時間を野球に費やしてきたが、これからその時間とどう付き合っていくか?

 

「(これから、ということ、それともこれまでの時間とどう対応するかということ? と記者に尋ねて) ちょっと今はわからないですねぇ。でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらないですよ、僕じっとしていられないから。それは動き回ってるでしょうね。だから、ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。全然ないです。だから動き回ってます」

 

――(フジテレビ・生野陽子イチロー選手の生きざまで、ファンの方に伝えられたことや、伝わっていたらうれしいなと思うことはあるか?

 

「生きざまというのは僕にはよくわからないですけど、生き方というふうに考えるならば……先ほどもお話しましたけども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね、それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとしたらすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは」

 

――(日刊スポーツ・高原寿夫)シンプルな質問ですけど。現役選手を終えたら、監督になったり指導者になったり、あるいは全く違うタレントになったりすることはあるけど……、

 

「あまりシンプルではないですね」(笑)

 

――イチロー選手は何になるのか?

 

「何になるんだろうねぇ。そもそも、カタカナのイチローってどうなんですかね? いや、元カタカナのイチローみたいになるんですかね。あれ、どうなんだろう? どうなんだろうね、あれ。元イチローって変だね。イチローだし僕って思うもんねぇ。音はイチローだから。書くときにどうなるんだろうねぇ。どうしよっか。何になる…。監督は絶対に無理ですよ。これは『絶対』が付きますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。うん」

 

――そうでもないと思うが。

 

「いやぁ、無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうねぇ。プロの選手とかプロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合は特殊な形で存在しているので、今日をもって、どうなんですかね、そういうルールって。どうなんだろうか。今まではややこしいじゃないですか。例えば、極端に言えば、自分に子どもがいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。確か。違います? そうだよね。だから、そういうのって変な感じじゃないですか。だから、今日をもって元イチローになるので、それが小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」

 

■「引退」より「クビ」が気になっていた

 

――(TBSビビット上路雪江)以前にも引退の2文字が浮かんで悩んだ時期はあったのか?

 

「引退というよりは、クビになるんじゃないか、はいつもありましたね。ニューヨークに行ってからはもう毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークというのはみなさんご存知かどうか知らないですけど、特殊な場所です、マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。だから毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになるときはまさにその時(引退)だろうと思っていたので、そんなのしょっちゅうありました」

 

――その中で今回、引退を決意した理由は?

 

マリナーズ以外に行く気持ちはなかったというのは大きいですよね。去年シアトルに戻していただいて、本当にうれしかったし。先ほど、キャンプ前のオファーがある前の話をしましたけど、そのあと5月にゲームに出られなくなる。あの時もその(引退の)タイミングでもおかしくないですよね。でも、この春に向けて、まだ可能性があると伝えられていたので、そこも自分なりに頑張ってこられたということだと思うんですけど……質問なんでしたっけ?」

 

――今回引退を決めた理由は?

 

「そうか。もう答えちゃったね」

 

――8回にベンチに戻る際に菊池選手が号泣していた。

 

「いや、号泣中の号泣でしょ、あいつ。びっくりしましたよ。それ見て、こっちはちょっと笑けましたけどね」(笑い)

 

――抱擁の時にどんな会話を交わしたのか?

 

「それはプライベートなんで。雄星がそれをお伝えるするのは構わないですけど、それは僕がお伝えるすることではないですね」

 

――秘密ということで。

 

「それはそうでしょう。だって2人の会話だから。しかも、僕から声をかけているので、それをここで僕が『こんなこと僕が言いました』って、バカですよね。絶対に信頼されないもんね、そんな人間は。それはダメです」

 

――(共同通信・海外部・アレン)アメリカのファンにメッセージを。

 

アメリカのファンの方々は最初はまぁ厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは『日本に帰れ』としょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残した後のその敬意というのは、これを評価するのかどうかわからないですよ。手のひらを返すという言い方もできてしまうので。ただその、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方というのはその迫力があるなという印象ですよね。

 

ですから、なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後はすごく近くなるという印象で、ガッチリ関係ができあがる。まぁ、シアトルのファンとはそれができたような、僕の勝手な印象ですけど。

 

ニューヨークというのは厳しいところでしたね。でも、やればそれこそどこよりも、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。マイアミはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけれど、でも結果を残さなかったら絶対に人が来てくれないという、そんな場所でした。それぞれに特色があって、まぁ面白かったし、それぞれの場所で関係を築けたような。特徴がそれぞれありましたけど、アメリカは広いなぁと。ファンの人たちの特徴を見るだけで、アメリカはすごく広いなという印象ですけど。でもやっぱり、最後にシアトルのユニホームを着て、もうセーフコ・フィールドではなくってしまいましたけど……姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります」

 

――(バズフィード・吉川慧)キャンプなどでユニークなTシャツを着ていたが、何か心情を表していたのか? 全く関係なくただ好きで着ているのか?

 

「そこは…もう言うと急に野暮ったくなるから、言わない方がいいんだよね。(笑い) それはだから見る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできるし、全然関係ない可能性もあるし。それでいいんじゃないですか?」

 

――好きに楽しんでいただきたいと?

 

「だってそういうものでしょ。いちいちそれ説明すると本当に野暮ったいもんね」

 

――言わないほうが粋だと?

 

「まぁ粋って自分で言えないけどね。言うと無粋であることは間違いないでしょうね」(笑い)

 

イチローのTシャツ

https://www.facebook.com/258319974323538/posts/1238525322969660/

 

■妻が握ってくれた2800個のおにぎり

 

――(笹田幸嗣)イチローさんを支えてきた弓子夫人への思いは?

 

「いやぁ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、およそ…僕はゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるのですけど、その数がですねぇ、2800個くらいだったんですよ。だから3000いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、まぁとにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思ってます。

 

それと一弓(いっきゅう)ですね。一弓というのはご存じない方もいるかもしれないですけど、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7か月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですが、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それはオレ頑張らなきゃなって。これはジョークとかではなくて、本当に思いました。あの懸命に生きる姿。(一弓は)2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深いですね、一弓の姿というのは。本当に妻と一弓には感謝の思いしかないですね」

 

■打席内での感覚の変化は、ここでは言えない、裏で話そう

 

――(朝日新聞・ 遠田寛生) 打席内での感覚の変化は今年はあったのか?

 

「いる? それここで。いる? 裏で話そう、後で。裏で」

 

――(日本スポーツ企画出版社・新井裕貴)これまで数多くの決断と戦ってきたが、今までで一番考えぬいて決断したものは?

 

「これ順番つけられないですね。それぞれが一番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけでは当然それは叶わないので、当然球団からの了承がないと行けないんですね。その時に、誰をこちら側……こちら側っていう敵味方みたいでおかしいんですけど、球団にいる誰かを口説かないといけないというか、説得しないといけないというか。そのときに一番に浮かんだのが仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いを伝えていたこともあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯でお酒を飲ませたら……飲ませたらってこれはあえて言っていますけど、これはうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって。これがなかったら、何も始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなと思いますね。また、『ダメだ。ダメだ』とおっしゃっていたものがお酒でこんなに変わってくれるんだと思って、お酒の力をまざまざと見ましたし。でもやっぱり、しゃれた人だったなと思いますね。だから仰木監督から学んだもの、計り知れないと思います」

 

――昨日の試合は第1回WBCで日本が優勝した日と同じだったが、それは運命的なものがあったりするのか?

 

「まぁ聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね。僕はそのことは知らなかったですけど」

 

――(日本テレビ辻岡義堂)最も我慢したものは何だった?

 

「難しい質問だなあ。僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと、楽なことを重ねているっていう感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚はないんですけど、とにかく体を動かしたくてしょうがないので、体をこんなに動かしちゃだめだっていって、体を動かすことを我慢することはたくさんありました。それ以外はなるべくストレスがないような、自分にとってですね、ストレスがないように考えて行動してきたつもりなので。家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれますけど、これロードに出るとなんでもいいわけですよね。無茶苦茶ですよ、ロードの食生活なんて。だから我慢できないから、結局そういうことになってしまうんですけど、そんな感じなんです。今、聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらないですね。おかしなこと言ってます、僕?」(笑い)

 

――(台湾の中央通信社の記者)台湾ではイチローさんのファンがいっぱいいまして、何か台湾の人に伝えたいことは何かないか?

 

「(元中日の)チェンが元気か知りたいですね。(マーリンズで)チームメートでしたから。チェンは元気にやってますかね? それが聞けて何よりです。今のところ(台湾に行く)予定はないけど、でも以前に行ったことがあるんですよ、一度。すごく優しい印象でしたね。心が優しくて、いいなあと思いました」

 

■後輩に託すこと

 

――(夕刊フジ・片岡将) 菊池(雄星)投手が同じマリナーズに入って、去年は大谷(翔平)選手がエンゼルスに入った。後輩たちに託すことは?

 

「雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたのは、何かいいなあと思っていて…。もう『ちゃんとやれよ』という思いですね。短い時間でしたけど、すごくいい子で。

 

いろんな選手を見てきたんですけど、『左ピッチャーの先発って変わっている子』が多いんですよ。(笑い) 本当に。天才肌が多いという言い方もできるんですかね。アメリカでもまぁ多いです。だから、こんなにいい子いるのかなっていう感じですよ、ここまで。今日まで。

 

でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど、チームはドレスコードですね、服装のルールが黒のセットアップ、ジャージのセットアップでOK。長旅なので、できるだけ楽にという配慮ですけど、『雄星、俺たちどうする?』って。『アリゾナ発つときはいいんだけれども、日本着いたときにさすがにジャージはダメだろ』って2人で話していたんですね。

 

『そうですよね、イチローさん、どうするんですか?』って。僕は『中はTシャツだけどセットアップでジャケット着ているようにしようかな』って。『じゃあ、僕もそうします』と雄星が言うんです。で、キャンプ地を発つときのバスの中で、みんな、僕もそうでしたけど、黒のジャージのセットアップでみんなバスに乗り込んできて。雄星と席が近かったので『雄星やっぱ、だめだよな、これっ』て。『やっぱり日本に着いたときに、メジャーリーガーがこれはダメだろ』ってバスの中で言っていたんですよね。『いや、そうですよね』って。そうしたらまさか羽田に着いたときに黒のジャージでしたからね。(笑い) いや、コイツ大物だな、と思って。ぶったまげました。それは本人にまだ真相は聞いてないんですけど、何があったのかわからないですけど、左ピッチャーはやっぱ変わったヤツ多いなと思ったんですね。でも、スケール感は出てました。頑張ってほしいです。

 

翔平はもうちゃんとケガを治してスケールの、物理的にも大きいわけですし。アメリカの選手に全くサイズ的にも劣らない。あのサイズであの機敏な動きができるというのはいないですからね、それだけで。いやもう世界一の選手にならなきゃいけないですよ、うん」

 

――(Jスポーツ・節丸裕一イチローさんが愛を貫いてきた野球。その魅力とは?

 

団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。これが野球の面白いところだと思います。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことないですよね。個人としても結果を残さないと生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティが高いはずなので、それでいいんじゃないかという考え方もできるかもしれないですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、魅力であることは間違いないですね。あと、同じ瞬間がないということ。必ず、『必ずどの瞬間も違う』ということ。これは飽きがこないですよね」

 

――イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか?

 

「2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く(別の)違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。本来は野球というのは……ダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな。(笑い) 頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから。その野球がそうなってきているということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」

 

――(週刊スパ・小島克典)1年目の試合で最初の対戦がアスレチックス、(途中・イチロー選手に訂正されて)今回最後の試合もアスレチックス。今回最後の打席に立つときに、1年目のゲームを思い出しましたか?

 

「長い質問に対して大変失礼なんですが、ないですね」

 

■何が成功かはわからない

 

――(文化放送斉藤一美プロ野球選手になるという夢を叶えて、成功してきて、今何を得たと思うか?

 

「成功かどうかってよく分からないですよね。じゃあどこからが成功で、そうじゃないのかというのは、全く僕には判断できない。成功という言葉がだから僕は嫌いなんですけど。

 

メジャーリーグに挑戦する、どの世界でもそうですね、新しい世界に挑戦するということは大変な勇気だと思うんですけど、でもここはあえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんです。じゃあ自分なりの成功を勝ち取ったところで、達成感があるのかといったらそれも僕には疑問なので。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。

 

(で、何を得たか。) まぁ、『こんなものかなあ』という感覚ですかねぇ。それは200本もっと打ちたかったし、できると思ったし、1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、勝つのってそんなに難しいことじゃないなってその3年は思っていたんですけど。大変なことです、勝利するのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね」

 

――(夕刊フジ・大和)毎年神戸に自主トレに行っている。ユニホームを脱ぐことで神戸に何か恩返ししたい思いは?

 

「神戸は特別な街です、僕にとって。恩返しかー、恩返しって何することなんでかね。僕は選手として続けることでしかそれができないと考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともあるんですね。神戸に恩返し。じゃあ、税金を少しでも払えるように頑張ります」

 

――(ハフポスト日本・田中志乃)日米で活躍する選手は甲子園で活躍、プロで活躍、そしてメジャーに挑戦という流れがある。もっとこんな制度ならメジャーに挑戦しやすかったとか、こういうことあればいいなという提言は?

 

「制度に関しては僕は詳しくないんですけども、でも日本で(野球選手としての)基礎を作る、自分が将来、MLBでプレーする。(記者に向かって、「聞いてらっしゃいます?」) MLBで活躍する礎を作るという考え方であれば、できるだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられることってたくさんあるんですよね。だから制度だけに目を向けるのはフェアではないと思いますけどね」

 

――日本の野球で鍛えられたことは?

 

「基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より、日本だったら中学生レベルの方がうまい可能性だってありますよ。それはチームとしての連係もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね、日本の野球では。でも、こちら(アメリカ)ではなかなかそこは…。個人としてのポテンシャル、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみましたよ。苦しんで、諦めましたよ」

 

――(TBSテレビ・ヤマシナエンゼルスの大谷選手との対戦を楽しみにしていたけど、叶わなかった。イチローさんは対戦したかったか?

 

「先ほどもお伝えしましたが、世界一の選手にならないといけない選手ですよ。そう考えてます。翔平との対戦、残念ですけど、できれば僕がピッチャーで、翔平バッターがやりたかったんですよ。そこは誤解なきようにお願いします」(笑い)

 

■大谷はシーズン毎に打者、投手と分ければいい

 

――大谷選手は今後どのような選手になっていくと思いますか?

 

「なっていくかどうか? そこは占い師に聞いてもらわないとわからないけどねぇ。まぁでも、投げることも、打つこともやるのであれば、僕は1シーズンごとに、1シーズンはピッチャー、次のシーズンは打者として、それでサイ・ヤング(賞)とホームラン王を取ったら…。だってそんなこと考えることすらできないですよ。翔平はその想像をさせるじゃないですか、人に。この時点でもう明らかに人とは違う選手であると思うんですけど。その二刀流は面白いなと思うんですよね。(記者に向かって)納得いっていない感じの表情ですけど。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、その翌年には50本打ってMVP獲ったら、これ化け物ですよね。でも、それが想像できなくないですからね。そんな風に思っています」

 

――(毎日新聞・岸本悠) あるアスリートが、イチロー選手が現役野球選手じゃない自分は嫌だとインタビューで言っていたそうだが。

 

「僕は嫌だって言わないと思うけどね。僕、野球選手じゃない僕を想像するの嫌だとたぶん言っていないと思いますよ」

 

――改めて野球選手ではない自分を想像してどうか?

 

「いやだから、違う野球選手に多分なってますよ。あれ? この話さっきしましたよね。お腹減ってきて集中力が切れてきちゃって、さっき何話したのかもちょっと記憶に……。草野球の話しましたよね? そっちでいずれ、それは楽しくやっていると思うんですけど。そうするときっと草野球を極めたいと思うんでしょうね。真剣に草野球をやるという野球選手になるんじゃないですか、結局。聞いてます?」

 

「お腹減ってきたもうー。結構やっていないですか、これ。今時間どれくらい? 1時間? 20分? あらー。今日はとことんお付き合いしようかなと思ったんですけどね。お腹減ってきちゃった」(笑い)

 

――(デイリー・スポーツ・小林信行プロ野球人生振り返って、誇れることは?

 

「これ、先ほどお話しましたよね。小林君もちょっと集中力切れてるんじゃないの? 完全にその話したよね。ほらそれで1問減ってしまうんだから」

 

――(日本テレビ・伊藤大海(ひろみ=男性)) イチロー選手の小学生時代の卒業文集に「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」と書いていたが、その当時の自分にどんな言葉をかけたいですか?

 

「お前、契約金1億(円)ももらえないよって。(笑い)ですね。いやー夢は大きくと言いますけどね、なかなか難しいですよ。『ドラ1の1億』って掲げていましたけど、全然、遠く及ばなかったですから。いやー、ある意味では挫折ですよね、それは」

 

「こんな終わり方でいいのかな? (笑い) なんかきゅっとしたいよね、最後は」

 

■今は孤独感はないが、かつての孤独感は未来の自分にとって大きな支えに

 

――(フルカウント・木崎英夫) 前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーしている」と話していた。ヤンキースマーリンズとプレーする役割が変わってきて、去年ああいう状態があって今年引退。その孤独感はずっと感じてプレーしていたのか。それとも前の孤独感とは違うものがあったのか。

 

「現在それ(孤独感)全くないです。今日の段階で、それは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮(おもんばか)ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

 

孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことなのではないかなと感じています」

 

「締まったね、最後。いやー長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか、ね」

出典 

◎イチロー引退~会見全文 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

ペーパータオルケースの口を広げたら

きょうの作業
 教会堂のトイレの、手ぬぐいが不潔だというので、ペーパータオル(トウモロコシ繊維)に換えたので、木製ティシューボックスを買ってきて壁に付けることにしました。ところが、ティシューほど柔らかくないのでスムーズに出てこないので、のこぎりで口を大きくしたら、スムーズに出るようになりました!
 でも、なんか口裂けなんとか、みたいだな。

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流刑について

 最近、gyaoというので、家内と一緒にチャングムの誓いというのにはまってしまいました。女官チャングムが伏魔殿のような宮中で、陰謀によって女官の身分をはく奪されて済州島送りになります。すると済州島に彼女を慕う役人ニコニコオジサンが追っかけてきて、そこで仲良しになるということがありました。済州島朝鮮半島からすればハワイみたいな素敵なところです。それなのに、チャングムは復讐のため、魑魅魍魎たちが悪さばかりしている宮中に戻りたがるのです。

 以前に読んだのですが、江戸時代の流罪伊豆七島八丈島などに送り込まれることだったそうですが、行った先では、牢屋に収監されるわけでもなく、強制労働でもなく、ふつうに畑仕事や大工の手伝いなどして、のんきに過ごしていたそうです。江戸で悪い仲間に誘われる環境よりもよっぽどしあわせな気がします。そういえば、西郷吉之助も流罪で南の島に流されましたよね。そこで子どもも生まれて。佐渡島隠岐もむかしは流刑地でしたが、とっても良いところです。八丈島の場合は金山の強制労働があったようですが。

 明治時代になって自由民権運動家たちは、逮捕されて北海道に送り込まれ、彼らは赤い囚人服を着せられて、北海道開拓の特に道路造りに従事させられ、死刑ではないけれど、冬には次々に命を落として、事実上の死刑のような状態だったそうです。北海道は、夏はいいけれど、家がペラペラで暖房もお粗末な時代、冬は地獄でしたからね。
 流刑の話ではないのですが、今、いまは北海道は家の造りも暖房もしっかりしているので、冬の家の中は本州より暖かく、夏は涼しくて、不動産は安いし、痛勤電車はないし、いいところです。東京で北海道転勤命令が出ると2度泣くことになるそうです。地方に飛ばされると言って一度目は泣き、二度目は、東京に帰ってこいと言われて、北海道にとどまりたいといって泣く。

 

派遣礼拝説教:宣べ伝えるべき福音 (2023年9月9日更新)

「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」(コロサイ1:13,14)

 

 福音の伝道者は、伝えるべき福音を正しく認識していなければ、その任務を果たすことができません。

 ところが、 2016年神戸における日本伝道会議、2017年、2018年の学会誌「福音主義神学」が連続で、NPP(New Perspective on Paulパウロ理解の新視点)の是非をめぐって福音理解をテーマとして取り上げたことに現れているように、今日、福音派陣営内で福音理解に混乱が生じています。

 NPPに造詣の深い河野勝也氏(ホーリネス中山教会牧師、青山学院講師)によれば、NPPは宗教改革者が信仰義認の根拠とした「代償的贖罪を克服し、キリストへの参与としての愛の贖罪論を目指す」と主張し、また「パウロヨハネは、断罪せずに赦すラディカルな愛を描く点において一致している」とも主張しています(東京ミッション研究所ニュースレター2018年第86号)。
 そこで、改めて聖書に福音とは何かと問うてみたいと思います。

 

1 サタンの支配から御子の支配へ・・・王なるキリスト

 

 コロサイ書上掲の箇所は、キリストにある救いを二つの側面から簡潔に表現しています。ひとつは、「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」つまり、私たちを暗闇の支配から救出して、御子キリストの支配の中に移されたということ。もうひとつは、「この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ている」ことです。

 「暗闇の力」とはいうまでもなく、サタンの圧制を意味しています。パウロは、エペソ書2章1,2節では、「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。」と述べています。救いの一面は、空中の権威を持つ支配者、すなわち、サタンによる暗闇の圧制から解放されて、キリストの支配(バシレイア)に移されたことです。

 このとき、エスは王(バシレウス)として意識されています。この観点から福音とは何かというならば、「王なるイエスが来られた!」という布告です。共観福音書の冒頭に「預言者イザヤの書にこのように書かれている。「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの前に遣わす。彼はあなたの道を備える。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。』」(マルコ1:2,3)とありますが、これは王(バシレウス)の行幸を迎えるために道普請を命じる使者の声です。「時が満ち、神の国(バシレイア)が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)とは、「神が遣わされた王(バシレウス)が到来した」ということを意味しています。つまり、共観福音書の冒頭が告げる福音とは「王であるイエスが来られた」という意味です。

 イエスが王として来られる前、世はサタンの暗闇の圧制下にありました。サタンの圧制下にあったとき、人は罪と欲望の奴隷であり、死の恐怖の中に置かれていました。王なるイエスは、そこからご自分の民を奪回して、ご自分の支配のもとへと移すのです。

 王なるイエスはどのようにして、サタンと戦われたでしょうか。公生涯における荒野の四十日、悪霊追い出しも癒しのわざもそうでしょう。しかし、サタンとの戦いのピークはゴルゴタの丘でした。十字架刑を目前にして、主イエスは王の装束をまとわれました。ローマ兵たちはイエスに派手な衣を着せ、頭にはいばらの冠をおしつけ、手には葦の王酌を持たせたのでした。主イエスは王としてサタンとの戦場であるゴルゴタの丘へと赴きました。サタンはユダの心に入り込み、イエスを裏切らせ、イエスを十字架につけさせました。ところが、イエスは十字架における死と三日目の復活をもって、サタンに対する決定的勝利を収められたのです。

 王なるイエスの十字架と復活によって、サタンの支配から救出された私たちは、王なるキリストの臣民となりました。私たちは王なるキリストの臣民ですから、日々、「御国(王国)を来たらせたまえ。」と祈りつつ、王のみ旨が私たちの生活のあらゆる分野に成るために生きるのです。

 東方教会の贖罪論の伝統では、この悪魔に対する勝利と悪魔の支配からの救出が強調されてきました。包括的な神の国の視野は、キリストが王であり、キリストが王国をもたらされたことを意識することによって得られるでしょう。教会の社会的責任は王なるキリストの臣民としての責任です。闇の王であるサタンから解放されてキリストの臣民となり、キリストのいのちと使命に参与するということが贖いの一面であることは事実です。NPP(といっても幅はありますが)が、「キリストへの参与」(サンダース)こそ福音の本質だといい、「福音とはイエスは王であるという宣言だ」(ライト)という主張は正しい主張です。ただ、サンダースは悪魔を持ち出さないので、聖書が率直に語るほどに事柄は明瞭になってはいないのですが。

 しかし、キリストに参与するためには、まず、その参与の障害となっている罪の問題を処理していただかねばなりません。つまり、キリストの代償的贖罪を受けなければ、キリストへの参与はかなわないのです。

 

2 キリストの代償的贖罪と罪の赦し・・・大祭司なるキリスト

 

 次に、コロサイ書でパウロが教えるキリストによる救いのもう一面は、「この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」ということです。こちらは、西方教会の伝統で強調されてきたことです。私たちは、キリストにある救いというと、まず、私の罪を大祭司であるイエスがあの十字架で、自らを神への宥めの捧げ物としてささげ、私たちの罪を背負ってくださった出来事を、何よりもありがたいこととして意識します。

 しかし、17世紀の反三位一体論者ソッツィーニ、19世紀シュライエルマッハー以来、現代にいたる自由主義神学の流れの中にある人々は、キリストの十字架における代償的贖罪を否定し続けてきました。ソッツィーニは言います。「キリストに対する身代わり的懲罰は不合理、支離滅裂、不道徳そして不可能である。赦しの授与は、神の正義の要求に対する充足行為を行うことと一致しない。また罪ある者から罪無き者キリストへと刑罰の対象を移すことも不公正である。また、キリスト一人の一時的な死は、多くの者の永遠の死の本当の身代わりとはなりえない。そして、完全な代理的充足というようなものが本当に存在するのだとしたら、そのようなものは必然的に、罪の中に無制限に生き続けてよいという許しを私たちに与えるものとなろう[1]。」

 キリストの代償的贖罪を否定する論理は、ソッツィーニ以来、現代にいたるまで本質的に何も変わっていません。たとえばカトリックの聖書学者森一弘司祭は、高橋哲也氏との対談で、次のように耳を疑うようなことを言っています。「キリストの十字架を『犠牲』というかたちで説明するのは、先ほど申し上げた正義、交換の正義と言う視点が、聖アンセルムスとか トマス・アクィナスあたりで神学の中にどんと入ってきてしまった論理です。それがのちに主流になって今日まできてしまった。ところが、キリストの十字架を『犠牲』としてとらえてしまうと、神の姿が歪んできてしまう。それは現代の神学者たちも指摘しているところです。(中略)ちなみに、福音書をずっと読んでみても、福音書の中にキリストの十字架を『犠牲』とする、あるいは罪のあがないとするような言葉は全く出てきません[2]。」
 森司祭は、罪を赦すにあたり御子を十字架にいけにえとして要求するような神は残忍な神であるというのです。神は善悪併せのむ、無限抱擁的な神であってほしいというのです。最初に申し上げたNPPの「代償的贖罪を克服し、キリストへの参与としての愛の贖罪論を目指す」とか「パウロヨハネは、断罪せずに赦すラディカルな愛を描く点において一致している」という主張も同じ内容です。

 しかし、福音書において主イエスは代償的贖罪を教えました。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:45)「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」(マタイ26:28)また、バプテスマのヨハネはイエスを指して、代償的贖罪者として紹介して言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネ1:29) 

 また、パウロは、福音とは何かということを定義して、1コリント15章1-5節でキリストによる代償的贖罪についてはっきりと教えています。「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」

 へブル書も言います。「キリストはやぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(へブル9:12)「血を注ぎだすことがなければ、罪の赦しはない。」(へブル9:22)

(以下5行は2023年9月9日に付加)

 そして、古代教父たち例えばカイサリアのエウセビオス、クルソストモス、アウグスティヌスたちは、悪魔の支配からの解放とともに、キリストによる代償的贖罪を教えていました。同じように、16世紀の宗教改革者ルターやカルヴァンも、代償的贖罪を軸としつつ悪魔の支配からの解放をも教えています。要するに聖書は神のことばであると率直に信じた人々は、同じことを語っているのです。

 ソッツィーニ以来の、キリストの代償的贖罪は不合理、支離滅裂、不道徳そして不可能であるという主張を聞いて思い出さずにいられないのは、使徒パウロのあのことばです。たしかに「十字架のことばは、滅びる者たちには愚か」なのです。しかし、「救われる私たちには神の力です。」(1コリント1:18)

 

結び

 聖書が私たちに教えている福音とは、

 第一に、キリストは祭司として、十字架においてご自分を神への犠牲としてささげ復活をもって私たちの罪を償って、神の前に私たちを義とし、赦してくださったということ。(ローマ書では1章から5章)

 第二に、同時に、キリストは王として、十字架と復活において私たちを悪魔の圧制から救出して、ご自分の支配下に置き、私たちを臣民として召してくださり、キリストに参与するものとされたということです。(ローマ書では6章から8章)

 もう一度言います。聖書が私たちに教えている本物の福音とは、キリストの代償的贖罪を根拠として神との関係を義とされ、王なるキリストに参与して神の子、御国の相続人として信仰の従順に生きる者とされたことを意味しています。それゆえ、私たちはキリストの犠牲への感動と感謝のゆえに、臣民としてキリストに忠誠を尽くして、キリストのみ旨が地に成るために、福音の宣教と献身の生活に励みたいものです。

 

[1] J.I.パッカー『十字架は何を実現したのか―懲罰的代理の論理』(長島勝訳、いのちのことば社、2017)10頁

[2] 高橋哲哉・菱木政晴・森一弘『殉教と殉国と信仰と』  (白澤社発行・現代書館)98,99頁

北海道聖書学院 卒業式

 昨日は北海道聖書学院(HBI)の卒業式でした。2年生の時、苫小牧福音教会に奉仕神学生で来ていたM夫妻、3年生のとき卒論指導をしたY姉が卒業しました。短期信徒コースを修了したかたは、本科に進むことになりました。

 卒業生のあかしをうかがいながら、神学の学びと寮生活に一生懸命に取り組んでいたご様子がうかがえました。自分自身の東京基督神学校における神学生時代を考えてみると、神学の勉強には打ち込んだものの、寮生活は殺伐としたものだったなあと思います。まあ、男ばっかりの寮でしたしね。議論はよくしました。

 卒業の記念にカエルをもらいました。

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6月22日はライフラインの集い・・・ハープ演奏があります

 今日は2時から6月22日に開くライフラインの集いの第一回準備会で、地域の牧師が苫小牧に集まりました。メッセンジャー関根弘興牧師で、音楽ゲストはハープ奏者のキャサリン・ポーターさん。キャサリンさんは、イギリス人宣教師で、東日本大震災のボランティアとして来日された方です。私にとって、ハープの本格的な演奏を聞くのは初めてなので、楽しみです。下の映像がキャサリンさんですが、ずいぶん大きなハープでびっくりしました。

 


Lord's Prayer by Catherine Porter